1/26 日曜礼拝の写真(たまプラ支部礼拝所)





時間:21:00〜-21:30(日本時間)
参加者:エリサベツ、ダニエル
ダニエルが最初に祈りしました。
<シェアの内容>
ダニエル:
キャンプで一つ学んだ、大きな祝福は、自分の「霊的コンディション」は今どうゆう状態、把握出来ること。前、この真理にあまりにも注目はしなかった。自分の体の健康、いつもどうゆうコンディション、いつもわかるけど、霊的コンディションも、いつも同じであるはず。このことにあんまり注目しなかったことによって、アップダウンの原因にはなっていました。あと、これに関連して、「自分にかかってる」ということ、神様にかかってるわけじやない。つまり、自分自身でできること、沢山ある、とわかった(みことばを読むこと、祈ること、心配を追いだすこと)。だから、自分の方から神様に近づくこと。
エリサベツ:
霊的コンディションが悪いと、神様から祝福受けることができない。私にとって、日曜日は、リセットの日(世からの清め)。キャンプのメッセージを聞くと、自分自身の信仰にかかってると分かった。神様の問題ではなく、私にかかってる。例えば、アブラハムが最初、子供のことに関して文句してたが、最後テントから出て、信じました。それで、二つ目は、「毎日、誰かにイエス様の事伝えること」を、目標にしてます。それは、「伝道しなきゃ」じゃなく、どの会話でも、イエス様と繋げていくこと。
エリサベツが最後祈りしました。
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ロス:レベッカ バンクーバー:ナオミ
始めの祈り:レベッカ
レベッカ:
メッセージから 哀れみの心を閉ざすこと、自分の意思である。私にとっては、自分の意思を環境のせいにしない、神様の御心に合わせること。私たち一人ひとりができること、そしてすべきことを、イエス様の愛に基づいて行っていくこと。一番心に残ったのは、霊的な必要を満たそうとする人が少ないということ。哀れみの心を閉ざすことに慣れてしまった現代社会。私もそのひとりである。そのために霊の目がもっと開かれるように。自分に与えられた存在意義を考える。聖書のことばを通して、永遠の希望を伝える。神に祈りつつ、具的な支援や行動を起こす。悲しみの中にも、神が与えてくださる希望と喜びがある。すべてのことを益としてくださる神様と歩みつつ。人の痛みはそれぞれに違うもの、でも決してそれをtake adantageする機会ではなく、謙遜さを忘れず、与えられたものをシャアする。神様はどんな時でも良き神様。
ナオミ:
9日の祈祷会より、マタイ16:5から弟子たちはパンを忘れたこと、そのことに心を留め、全く的はずれな話し会いをしていたことが読み取れ、イエス様、神のみこころが分かっていないことがわかりました。またイザヤ58:8がとても心強いみことばです。これは自分のことではなく、他の人のことを考え、義を第一に求める心によって成されるということを心に留めます。他の支部で、みことばを求めている人が集い、またその新しく来た人らにより、その支部が喜んでいる様子が、こういうことなのですね。

1/19(日)20:00−20:30
初めの祈り:マリア
(ルツ)
詩篇91の彼が私の名を知っているから、私は彼を高く上げよう。の名を知っているというのが、名が神様の権威、品性、臨在で、それを知らない人は目に見えるところの環境を見て生きるしかないが、名を知っている人の生き方、信仰を見て神様が高くしてくださる。信仰がなくては神に喜ばれることはありませんにも繋がり、名を知るということが前よりもわかった。
(マリア)
神様との関係が太いほど、より生き方が変わってくる。常に共におられると知ることで、環境で問題があったとしてもパニックにならないで済むし、願いがあったとしても、委ねることができる。弟子達が訓練を受けたように、どんな時でもその臨在を信じることができるのか
一つ一つ吟味したい。肉の力が出そうな場面で、肉に頼らないように。

最後の祈り:ルツ