4/27/2024 「死と復活」No.5
聖書箇所: ガラテヤ 5:24-25、ルカ 22:31-32 など キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの 情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれ て、進もうではありませんか(ガラテヤ 5:24-25)。 人には二種類の生き方ができて、一つは霊によって、もう一つは肉によって生きる生き方です。それは、人の中に二人の人格者が住
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この山の上で、万民の上をおおっている顔おおいと、
万国の上にかぶさっているおおいを取り除き、
永久に死を滅ぼされる。
神である主はすべての顔から涙をぬぐい、
ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。
主が語られたのだ。(イザヤ25:27-28)
聖書箇所: ガラテヤ 5:24-25、ルカ 22:31-32 など キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの 情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれ て、進もうではありませんか(ガラテヤ 5:24-25)。 人には二種類の生き方ができて、一つは霊によって、もう一つは肉によって生きる生き方です。それは、人の中に二人の人格者が住
聖書箇所: エペソ 5:25-32、ルカ 22:24-34 など 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、 水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするた めであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです
聖書箇所: 1 ペテロ 2:24、イザヤ 53:5 など そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、 私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、 あなたがたは、いやされたのです(1 ペテロ 2:24)。 キリストが「私たちの罪をその身に負われました」ということは、彼が私たちと一 つになることによって、罪人になられたということです。それがみこと
聖書箇所: ルカ 22:14-20、出エジプト 12:1-11 など 私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によ っているのです(ガラテヤ 2:20)。 キリストの死と復活を信じるあなたは、自分も彼とともに死に、また彼とともに
聖書箇所: ヨハネ20:1-18、14:8-9など そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの 御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとり は足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。 彼らは彼女に言っ た。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行き ました。どこに置いたのか、私にはわからないの
聖書箇所: ヨハネ 19:1-18、イザヤ 60:1-3 など この山の上で、飲み込む。 おおいの表面、万民の上をおおっているものを、 織りもの、万国の上を織りかぶさっているものを、 死を永久に(勝利に)飲み込む。 神である主はすべての顔から涙をぬぐい、 ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。 主が語られたのだ(イザヤ 25:7-8、私訳)。 「この山」とは、文脈で、シオンの山のことです。「
聖書箇所: ルカ 24:13-35、イザヤ 60:1-3 など ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心の鈍い人たち。キリストは、必ず、そのような苦しみを受けて、それから、彼の栄光に入るはずではなかったのですか(ルカ 24:25-26)。 このことばは、イエス様の死なれた過越の祭りの後、自分の故郷エマオに帰る途中の二人の弟子たちにイエス様が語られたも のです。イエス様が彼らに「あ