支部の活動

3月31日 支部のシェアのご報告(名古屋⇄福岡)

3月31日
20:00~20:40

礼拝からのシェア

(マリア)
グッドフライデーの礼拝から続いて、復活はイエス様が死んで復活しただけじゃない、私も死んで復活した。当然のことだけど、本当にそうだということ、イエス様は命を与える方だということを改めて受け取った。マグラダのマリアについてあまり知らなかった。一人で行動していたこととか、ライバル張ってたこととか、「からだがない」と言う心がイエス様にいつも仕えていて、その方がいなくなることが現実的に実感が湧かないということ、イエス様が昇天してからそのからだである教会に仕えることをしたということからマリアのことを考えた。

(ハンナ)
先週の礼拝の後からイエス様の復活のことをより知るには?と考えていた。週の間のメッセージで「復活するには死なないとできない」と聞いて、古い自分がイエス様とともに死んだという真理の上に立って、生活の中で古い自分を捨てる、死ぬことをすることで神様が新しい世界を見せてくださると受け取った。今日のメッセージでは、女たちやペテロとヨハネが墓に入って行ったように墓の中に入っていくこと。

その他、お互いの礼拝所の今日の様子をシェアしました。

3月10日 支部のシェアのご報告(名古屋⇄福岡)

3月10日(日) 20時-20時半
日曜礼拝のメッセージからのシェアをしました。

(ハンナ)
私たちが火皿だと言われ、ワーオと思った。この世から取り出されて、火で清められて残った聖いものとされたことが本当にすごいことだと思った。出エジプト30:29にもあるように最も聖なるものとされたこと、そういう自分として、信仰の上に立っていく。礎の上にどうして火皿を置いたのかということも前よりもっとわかり、それもワーオと思った。
先週も学んだルカ19:38~の箇所で祭りをしていたというところから、イエス様の真剣さによって救われたことを考えるともう祭りをする気になれないと思った。

(マリア)
民数記16章のコラの話から、祭司の堕落してしまったことを聞き、その堕落は損得を考えるようになり自分の事しか考えない状態になってしまい汚された神殿。でもそれがイエス様の死と復活、その贖いがあり、きよめられ再建された神殿が教会で、火皿で香をたくことは賛美がささげられ祈りがささげられる場であると聞き、この福岡礼拝所も祈り、賛美が捧げられて、神様との交わりの場であるべきだと思った。