支部の活動

オンラインシェアの報告5月22日(福岡&横浜)

参加者:マリア、ダニエル

時間:22:00~22:35

ダニエルが祈ってから始めた。

最初、少しキャンプのこと(奇跡が起きるところですと話をして)、また純さんのピアノコンサートの話を5分くらい話してから、シェアを始めました。

マリア:

今週のメッセージから、弟子トーマスが、信じない者から、信じるものに変わった事、私も、そのように変わったこともわかりました。実際の目で証拠は、信じるためには必要ない、とわかった。
私は、もっとイエス様と一緒に歩くことが、前より少しができて、感謝します。例えば、一年半前と比べたら、まだ離れた生活してる時がありましたが、今生活の中で、もっと信頼できることになって、感謝します。

ダニエル:

最近心に響いてる言葉は、「自分をすいせんしない事。イエス様だけに誇る事」、2コリント10:17の言葉です。前は、そこまで、『見て、見て!』という態度、そんなにしてないと正直思ってたが、今よく考えてると、心の中でそれをやってる、とわかります。それは、ちょっとした相手からの反応が欲しい、という心だとわかった。これは、家族の中、また学校授、業をやってる時も起きる。大事のは、反応がなくて、大丈夫、イエス様がわかる、だから、とにかく続けてやって行く事。

最後、『イエス様と毎日共に歩む』とは、二人ともにとってはどういう意味か、数分話した。

マリアが最後に祈りしました。

ダニエル:横浜支部

5月11日 支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&メンフィス)

オンラインシェア:
メンフィス ダビデ バンクーバー レべカ

5/11 土曜日、メンフィス午後10時 バンクーバー午後8時

始めのお祈り:レべカ

ダビデ:
最近のメッセージで汚れは今でも一つづつ清められる事と学んでいるが、今日の礼拝では私を変えられるのはやはりイエス様だと再認識した。みことばであるイエス様が私の中に入ってくるので魂が変えられることができると、それを信じることをやっていこう。表現することがいると聴いて、みことばカードなど作ったりしているが、もっと他の事でも外に出していく。

レべカ:
いくら頑張っても聖められないと落胆して、悲劇のヒロインすることあります。今日の礼拝で、イエス様が生かす御霊となったというパスターの教えを心に入れます。イエス様の死と復活により、ともに死んで生かされた者であること、イエス様はすでに勝利者であること、私はそのイエス様に生かされています。

祈り:
レべカ:
旦那の体調が安定するよう、イエス様の愛が注がれて、私自身におおらかに愛情を与える人になれるよう祈りました。

ダビデ:
教会のM7が愛を持ってお互いを知り、それぞれが教会での活動での同じ目標を目指す志しが与えられる様に。チームとして強められて教会の成長に用いられる様に。

終わりの祈り: ダビデ

オンラインシェア報告 5/12日(ロサンゼルス&甲府)

日本時間
5/12日(日)23:00-23:30

アビゲイルさんが祈って始めました。

アビゲイル:
ドリルでの弟子達の霊的に死ぬタイミングと復活のタイミングについて問われた箇所で、墓から出たタイミングではまだ信じていたわけではないので、ユダヤ人を恐れていたが、聖霊様の息が吹き込まれて、そして信じて初めて復活したということを学んだ。自分に適応すると、一回だけ復活するのではなく、毎日それをしていくんだということに気付かされた。

マリア:
弟子たちが部屋にこもって罪責感でいっぱいだった時、きっと弟子として失格だと思っていたと思うけれどイエス様が現れ、あなた方を遣わしますと言葉を下さった。
すごく嬉しかったと思う。イエス様は、弟子たちの弱さを知り、それを受けとめ、許し、そして生まれ変わった弟子たちは神の器として生きれることを先に信じてくれていた。私は嫌なことがあるとすぐ捨ててしまうけど、それは自分のことしか考えていないからで、イエス様を習って、自分を捨て、相手を生かすために自分はどうするべきかを考えられる人に変えられていきたい。

最後、マリアが祈りました。

学びの支部シェア(山梨支部⇄横浜支部)

◾️5/5(日) 13:30〜14:20
◾️参加者:ルツ、レべカ、ハンナ
◾️内容:ドリル「死と復活 NO.3」からのシェア

まず、ドリル1ページ目から3人でシェアしました。
その後、個人的適用から一言づつシェアしました。

・レべカ:肉の部分をとっていくことは訓練。もちろん自分で気をつけることも必要だけど、神様に委ねて成長していくとき、自分が変えられることを、ちょうど先週の礼拝メッセージからも学んだ。自分の力だけでなんとかしようとしないことを、忘れずにいこうと思う。

・ルツ:今日の礼拝メッセージから、ペテロが罪責感で泣いた、それでもイエス様がペテロを支えてくださったことが印象的だった。肉によって動き、罪責感がきても、いつもイエス様が支え続けてくださる。

・ハンナ:イエス様と共に死んで復活したという信仰にいつも立っていきたい。肉をなくすことは訓練だけれど、自分を空っぽにすることで聖霊様がその器を満たし、神様が用いてくださる。

一度祈って終わったあと、ルツさんよりドリルの2ページ目について質問があるとのことで、ルツさんと私だけ残って、もう少しシェアしました。

4/27 支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&メンフィス)

4/27 土曜日、バンクーバー午後8時、メンフィス午後10時
始めのお祈り:レべカ

(ダビデ)霊的には古い自分は死んでしまったことを最近の礼拝で深く考えさせられているが、やはり自分にも言われる様な肉の部分がまだ残っていることに気付かされること、今まで自分で直そうとしてできなかったこと思いつく。最近は気づいた時にちょっとした時間でも祈ることを心がけている。
(レべカ)どんなことを祈るのか。
(ダビデ)その時によって違うが、気づいた時に祈るのは、清めのこと、体の癒しのことが多い。
(レべカ) 今日の安息日礼拝でも少しお話されていて、ドリルの問いのユダは赦されず、ペテロは赦された違いがなにかという質問が難しくずっと考えています。ユダもペテロも内容は違いますが、両者ともイエス様を裏切り、ユダもペテロも悔いています。イエス様の死と復活にはユダの裏切りは必要で、神様の計画であったとも取れます。その二人の違いを考えることが学びです。ユダはサタンと一つとなり、世の考えで自ら死を選び、それはしてはならないことであり、ペテロはイエス様と一つとなり、イエス様とともに生きました。私には生きることが大切というメッセージでもあります。
(ダビデ)ユダと他の弟子のことで私たちに適用できるのは、神様より赦されたことを受け入れたか、受け入れなかったのかの違い、またイエス様の十字架の死と復活を受け入れたクリスチャンとノンクリスチャンの生き方の違いと同じと理解します。

課題の祈り:
(ダビデ)悦子さんの昇天式で奉仕者が用いられみこころが行われること。参加者に喜びと希望を知ることができる様に。
(レべカ)私の周りにいる心や体に痛みがある人達にイエス様の打ち傷によって癒されたのみことばが成就する様に。

終わりのお祈り:ダビデ

4月28日 支部のシェアのご報告(名古屋⇄福岡)

4月28日(日)
20:00~20:45

聖日礼拝からのシェアをしました。

(ハンナ)
自分自身のことを振り返った。
ルカ22章、イエス様がこれから死んでいくんだけど、弟子達はその時まで誰が一番偉いかと話していた。その中で最後の晩餐が進行していき、イエス様は28節のところで「あなた方はさまざまな試練の時にもついて来てくれた人たちです。王権を与えます。」と言われた。そのことを考えると、すごいなと思った。その後は結局ペテロがふるいにかけられること続く。ペテロにとっては裏切ってしまい、なんてことをしてしまったとなるけどイエス様はそれを見越して信仰がなくならないように祈ってる。立ち直ったら兄弟達を力つけてやりなさいと言われている。ペテロはどん底に落ちるが、イエス様の祈りがあって恵みで立ち直ることができた。私ももうだめだ立ち上がれないと思う時があった。立ち上がることができたのは同じように恵みを受けたんだと思った。だからこそ自分の力ではできない。自分はただの器だということがわかった。ガラテヤ6:3のことばが本当にそうだと思った。イエス様が死んでくださったのは自分がまだイエス様のことを知らない時にそうしてくださった。イエス様の方は愛してくださっていた。私としては表現できない気持ちになる。

(マリア)
ルカの22章、私も同じようなことを思っていた。イエス様が父なる神様に祈られた。でも答えがない。イエス様苦しまれた。弟子達は眠ってる。その弟子達のためにこれから死んでいかれる。苦しみを受けておられる。そのイエス様のことを思った。そのイエス様に私はいのちをもらった。弟子達と同じように、イエス様のことをわかってない。けど、イエス様は、そのために地上に来てくださった。環境や人のことばから喜びがなくなることもある。神様にある自分を知ること、みことばと聖霊に信頼すること、必要なことを、改めて思った。

支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&ロサンゼルス)

4/23 月曜日 ロス・バンクーバー 午前7時 
レべカ、マルタ

レべカ:
イエス様の死と復活が自分の身におきたこと、イエス様の弟子たちの過越しの食事は弟子たちの罪を背負うこと、一つになること、アダムが深い眠りに入り、エバが与えられたことも死と復活、結婚であったこと、繋がりを知ると聖書は深くておもしろい。次女になぜ旦那は病気で苦しまないといけないのかと聞かれ、旦那も次女もサタンという表現が抵抗もあり、イエス様の祝福をわかるように伝えられてない。

マルタ:
家族の場合、私の信仰、真理子さんの場合は真理子さんの信仰が何より大切で、その信仰を神様は使うと何度も教えられてます。

マルタ:
ルカ22:15のみことばで、イエス様がこの時をずっと望まれていたということばが心に残った。この時とは、ご自分が弟子たちの罪の為にご自分の体と血を、自ら望まれて給仕する時。この地上で生まれてからずっと、この時に向かって、目的の為に生きて来たと考えると感謝しかない。イエス様の死によって、弟子たちが生まれ変わり、教会が建てられた。私の父の昇天後に、家族のメンバーが救われ、教会に通っている。
人間の死も同じで、特にクリスチャンはその人の生き様が現れ、最後の役目を達成する大事な時。その死によって周りが救われていく。私も残された時間、その時に向かって生きて行きたいです。

夏のキャンプの話しもしました。

終わりの祈り レべカ、マルタ