支部の活動
バレンタイン みことばカード 十字架クッキー作りのご報告(名古屋礼拝所)
バレンタイン みことばカード、十字架クッキー作りのご報告
バレンタインとして、ランチの時に、参加メンバーには、みことばカードを選んでいただき、十字架クッキー+チョコがつきました。
伝道用ギフトとしての販売分もありました。
●みことばカード(11種類、60枚)作成
‥‥マリアさん
●十字架クッキー作り、ラッピング
‥‥エステル、エリザベス、ハンナ、ルツ、ダビデ、ナオミ
みことばカード3種セット+十字架クッキー、ハートチョコレート(各2つずつ)をセットし、ラッピング(エステル、エリザベス) 、牧師婦人からアドバイス頂き、持ち帰りギフトを用意し、ジョシュアくんと、日曜日、初めて礼拝参加されたギデオンくんに、牧師婦人からのご指示で、お持ち帰りしていただきました。
●2月8日土曜日14時からクッキー作りの準備始めました。クッキーの生地はエステルさんが前日事前に作り、持参されました。クッキー生地を成形して型で抜いていきました。ダビデさんとエリザベスさんは15時からトラクト配りの為、1時間程抜けました。オーブンで順次焼いていきました。事務室で、焼いたクッキーにハートチョコをチョコペンでつけました。十字架クッキーを袋に入れて、ハートチョコレート、乾燥剤、緩衝材と共にラッピングしていきました。洗い物、片付けして18時過ぎ頃に終了して皆で帰りました。
みことばカード+十字架クッキー&ハートチョコをセットしたラッピング、57個作りました。牧師婦人のご指示で、ジョシュアくん、ギデオンくんに各2個持帰りして頂きました。残りの33個は、伝道用ギフトとして販売致しました。
2月2日 支部のシェア報告(バンクーバー・横浜支部礼拝所)
オンラインシェア
日本:ダニエル バンクーバー:ナオミ
2/4(火曜)日本:22時半 バンクーバー:5時半
始めの祈り:ダニエル
ダニエル:
この前の日曜日礼拝のメッセージで、いろんな真理が心の中に纏まれてきて、感謝です。何ヶ月前に、「三つの規定」を学んでるのですが、そのコンテキスト(文脈)が少しわからなかった。今回、改めて、なぜその規定があるのは、いつもクリスチャンは霊の世界でサタンとの戦いがある、だから、とわかった。それで、「世的」という言葉は、ただ世の人達と同じことを求めてるのだけじゃなく、生温いという意味もある。また、世的のことに関して、何年前の冬のキャンプが始まる直前に、パスターとまさみ先生が、「世的な言葉をキャンプ中、言わないこと」、皆に注意をした。その時、私は、「聖書以外の話、絶対してはならない」という意味でその注意を受けた。だけど、何年か後、同じ話しを聞いて、その世的な話しとは、どの人と話ししてても、自分の中に、神様を心の中にベースがないと、世的になる、ともっとわかった。ただ聖書だけの話をすることじゃない。もっと広い意味があった。とにかく、世的にならないことは大事、と改めてわかった。
ナオミ:
礼拝から律法学者、祭祀らは戒めとは、心を尽くし、命を尽くし、神を愛し、自分の隣人を愛するという知識はあり、イエス様はその彼の答えにたいして、”それをしなさい”と言われた。”しなさい”、イエス様の言われる”する”とは何なのかを求めていきたい。詩篇51:17 から、神様が砕かれた心を求めていることを学び、自分は自分の行いに対して、反省し、その都度落ち込みます。イスカリオテのユダは悔いたが、イエス様の光から離れてしまっていました。義理父の目の手術がうまくいきませんでした。義理母は疲れやで否定的になり、その中で義理父はすべてを委ねている強さがあり、イエス様の憐れみの心を義理父から感じ取れました。イエス様がまず先に憐れんで下さったことを忘れないようにしていきます。
終わりの祈り:ナオミ
2月2日支部のシェア報告(福岡・名古屋支部礼拝所)
2月2日(日)20:00〜
聖日礼拝メッセージからのシェア
(エステル)
世はあなたがたを憎みます・・・のみことばからの話で語られていたこと、世の基準じゃなくて(世の中の人でも愛し合っている)、イエス様の愛はそれに比べられない。神様の愛の大きさは世の基準とは違う。その愛を知った私は、その愛で愛するということをしているということ。ダヴァールに来てから、一つ一つ教えてくれることが、私には他では聞いたことがなかったようなことで、でも私の中ではそれはすごく本物だと思う。それが神様の愛の基準と繋がった。愛することに限らず、どういうふうに生きているかということについて教えられている。神様の基準は世の中の基準とは違う、高い基準。ダヴァールに来た時に本物だと思った、そのことを思い起こした。パウロは神様を信じるものとして一生懸命クリスチャンを迫害していた。良心ではわかっていたけど、自分は神様のためと良心に蓋をしてた、イエス様に出会って蓋をせずに悔い改めるということになった。それを聞いた時に、私もクリスチャンとして神様を信じて、神様のためにとか言っているけど、1週間の中にイエス様を伝えていなかった、1週間は自分の良心に蓋をして生きていたことと同じだなと悔い改めた。自分だけ救われて終わりじゃいけないなと思わされた。救われていながら、神様のことを伝えなかったらその後に責めが来る。それじゃいけないと思わされた。
(フルダ)
私も愛の基準について教えられた。兄弟姉妹や周りの人々を愛せなかった、やらなかった、できなかったというとき、自分の基準だからできないはずだと思った。自分の基準じゃできないということが改めてわかった。イエス様の基準、イエス様がその人を愛しておられるということ。イエス様はその人のためにも十字架にかかって死なれたということで自分の気持ちは関係のないこと。自分を捨て自分の十字架を負ってついて来なさい・・・のイエス様のことばとも繋がった。目標はイエス様の基準。伝道したい。