トラクト配り報告@宮崎台駅(6月22日)
土曜日に、宮崎台駅でトラクト配りをしました。
時間:16:15−16:45
参加者:ダビデ、ハンナ、ピーター、ダニエル、ヒカリ
配った枚数:120枚くらい(内、家の教会のトラクト20枚)
土曜日に、宮崎台駅でトラクト配りをしました。
時間:16:15−16:45
参加者:ダビデ、ハンナ、ピーター、ダニエル、ヒカリ
配った枚数:120枚くらい(内、家の教会のトラクト20枚)
6月16日
20:00~20:40
礼拝からのシェアを行いました。
(ルツ)
クリスチャンになってから豊かな実を結ぶために邪魔しているものを捨てていくことが始まり、その過程の中に置かれている。死と復活が一度だけじゃない。ペテロの例から、神様が目的を持って選び、呼ばれて召しを果たしていく、それぞれ自分の召しを持っていることをみた。私もそれを繰り返しながら豊かな実を結ぶことにつながっていく。
自分ではなく、自分のために死んで蘇って下さった方のために生きるものとして変えられて豊かな実を結ぶための過程の中にいる。ペテロは願いが強かった。私自身も苦しい、大変だと思った時期もあったが、それでも従ってきた。以前の自分には戻りたくない。従って行きたい、耐えていく。そういう人生がいいと思いました。
(マリヤ)
イエス様がペテロに「あなたは、わたしに従いなさい。」と言われた。ペテロはヨハネのことを気にして聞いた。私にとってもイエス様のこのことばは本当にその通りだと思った。人が、とか環境が、とかではなく、私はイエス様に従うこと。週の間に来てたメールにパスターから「与える人になりましょう」と書いてあった。読んだ時にハッとして、思考が自分のためになっていたことを改めた。感謝だった。
時間:22:30-23:00
シェアの内容:
ダニエル
「自分のこと誇るのではなく、キリストだけ誇ること」、実際のレベルで、これはどうゆう意味なのか、この1ヶ月くらい、学んでいます。先週の平日の一つのメッセージに、「神様が、貴方を、わざと、誇ることができないように、できないような環境に導いててくれるます」、この言葉を聞いて、これが今実際職場で起きてる、一つの訓練。そこまで毎日、同僚とは多く話してないですが、何年前だと、もっと同僚に話せたが、その時肉の力が多かった。だから、今は、わざとそうならないように、神様が「まずは、もっと静かになれ」、自分に語っています。
また、今週の日曜日メッセージからは、ヨハネ21章から、ペテロの古い船の場面が強いイメージ、それが心に残ってる。ペテロが久しぶりに漁に出かけ、イエス様がそのあと来て「貴方、なぜまだそうゆうことしてるの?」、と言う内容、ペテロに言った。数ヶ月前、二つの映画を見て、その時、自分に「これ見て、いいじゃない?」に言ったが、後で反省すると、これは間違いでした。21章のペテロと同じ。新しい生き方、もっと真剣に受け止める必要がある。
マリア
ペテロが服をきて、湖に飛び込んだのは、イエス様を来たからだと学んだ。だからこそ、たった40日間で、逃げていたペテロから大胆に語るペテロに変身した。肉だと絶対できない。
先週のメッセージを聞いて、ヨシュアやエリシャのようにパスター達のそばで実際に会って学びたいと思った。
だから、キャンプがすごい楽しみだと思った。ずっとアメリカに入れたら最高だな思った時、親のことが浮かんだ。患者さんのことも浮かんだ。ほっとけないと思った。その次の日、101歳の祖母が亡くなった。母と叔母は、いままで長い間つきっきりで介護していた。それをみて、私も親や叔母をそうやって見るだろうと思っていた。だから動けない。そう考えると少し苦しかった。御心は。と考えた。イエス様に人をとる漁師にすると言われたペテロは、親て、イエス様について行った。私がみなきゃ、私がやらなきゃという思いは、私の肉なんだと気がつかされた。親も患者さんも、もちろん大事にする。でも1番は、御心をとること。何かに足引っ張られてると御心を逃す時がある。御心をとれたら、他のものは神様が面倒みて下さる。
そこらへんをぶれないでいきたいと思った。
最後にマリアさんが祈りました。
ダニエル
オンランシェアの報告です。
東京: ハンナ バンクーバー レべカ
6月10日 月曜 東京22時 バンクーバー 6時
始めの祈り:ハンナ
ハンナ:
日曜礼拝のメッセージから、ペテロとイエス様の歩みを学ぶ中で、聞いたみことばを実践し実を結ぶには、イエス様との交わりが欠かせないことがわかった。実際にイエス様と交わりを持つことで、みことばの意味がわかり心の中に入る。私もペテロのように、日々の生活の中で、イエス様の臨在を認めて、イエス様と交わりを持ちながら生活し、変えられていきたい。
レべカ:
日曜礼拝のメッセージから、ペテロが三回イエス様を知らないと言った時、ルカ21:61 主は振り向いてペテロを見つめられた。の主の目は、どんな目なのか考えてます。怒るではない、イエス様の目。日々の中でイエス様の目を見い出していきたい。ペテロは変えられたと学びました。自分の力で変わろうとしても、出来ることでないので、日々訓練されていきたいです。
終わりの祈り:レべカ
日本 5/20 午前6:30
ロス 5/19 午後2:30
メンフィス 午後4:30(35分間)
参加者:ダビデ、ヨセフ、モーセ(司会、報告)
始めのお祈り:モーセ
(モーセ)
信じる者となった事自体も信仰で受け取り常に信じ続ける必要があると思わされた。信じることが難しいと思ってしまっている時、自分自身で疑いの壁を作っている事が分かった。疑いは自分でも気付かないうちにしてしまっていることが思い出されるので、疑い、否定的な思いを自分の中に見張っていく。これから生活に変化が出てくる中で特に不信仰に落ち込まない様にする。
(ダビデ)
礼拝メッセージから、信じているか否かが霊の世界では明らかに違う、と言うところが改めて考えさせられた。神様の目からは丸見え。アブラハムが信じた時から神様の見方が変わったところから、自分自身はどう見えているのか?微妙なところにいるのが反省。「訓練」についても教えられているが、自分で「苦しい」と思っている事が「訓練」だと。嫌だと思っていたことの考え方を改めて変えていくことが必要と色々なことを通して学んでいる。特に人からの指摘などに対して嫌悪するのでなく、受け取り方を考える様にしている。自分の中の悪さを気付かされているので、一つ一つ改める。
(ヨセフ)
信じる者とされたことを受けとりました。頭で自分が信じているかを考えるとわからなくなってしまう。信仰が試されるような時に出会うことがなく、ボーっと生きてしまっていることがわかりました。ダビデとゴリアテが告白し合ってダビデが勝ったところから、神様への信仰の告白をしてやるべきことを行う事が大切と改めて学びました。僕は、頭で考えて人の顔色をうかがって友達に伝道しようとしていたので、自分の考えと信仰との告白の違いを知って、理解して直していきます。アルバイトを「お金の為に」と始めたことだが、これも訓練の一つと受け取ろうとシェアの中で思った。
個人的な課題など
(モーセ)
アパートを決めに行くので、良い場所が見つかると言う信仰を持って行く。
(ダビデ)
職場は学生が多く夏休みに入るので予定の調整が課題になってくるが、必要は備えられていると言う信仰で。実際人が抜けた所に丁度入ってくるなど起きているので感謝。教会のプールの水が管理されなくなってしまっていたが、学生の頃の経験が今役に立っている。
(ヨセフ)
キャンプ費用の為のアルバイトに励んでいる。その他、それぞれのキャンプの予定、準備などを話しました。
終わりのお祈り:ダビデ
モーセ:メンフィス