支部の活動

4/27 支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&メンフィス)

4/27 土曜日、バンクーバー午後8時、メンフィス午後10時
始めのお祈り:レべカ

(ダビデ)霊的には古い自分は死んでしまったことを最近の礼拝で深く考えさせられているが、やはり自分にも言われる様な肉の部分がまだ残っていることに気付かされること、今まで自分で直そうとしてできなかったこと思いつく。最近は気づいた時にちょっとした時間でも祈ることを心がけている。
(レべカ)どんなことを祈るのか。
(ダビデ)その時によって違うが、気づいた時に祈るのは、清めのこと、体の癒しのことが多い。
(レべカ) 今日の安息日礼拝でも少しお話されていて、ドリルの問いのユダは赦されず、ペテロは赦された違いがなにかという質問が難しくずっと考えています。ユダもペテロも内容は違いますが、両者ともイエス様を裏切り、ユダもペテロも悔いています。イエス様の死と復活にはユダの裏切りは必要で、神様の計画であったとも取れます。その二人の違いを考えることが学びです。ユダはサタンと一つとなり、世の考えで自ら死を選び、それはしてはならないことであり、ペテロはイエス様と一つとなり、イエス様とともに生きました。私には生きることが大切というメッセージでもあります。
(ダビデ)ユダと他の弟子のことで私たちに適用できるのは、神様より赦されたことを受け入れたか、受け入れなかったのかの違い、またイエス様の十字架の死と復活を受け入れたクリスチャンとノンクリスチャンの生き方の違いと同じと理解します。

課題の祈り:
(ダビデ)悦子さんの昇天式で奉仕者が用いられみこころが行われること。参加者に喜びと希望を知ることができる様に。
(レべカ)私の周りにいる心や体に痛みがある人達にイエス様の打ち傷によって癒されたのみことばが成就する様に。

終わりのお祈り:ダビデ

4月28日 支部のシェアのご報告(名古屋⇄福岡)

4月28日(日)
20:00~20:45

聖日礼拝からのシェアをしました。

(ハンナ)
自分自身のことを振り返った。
ルカ22章、イエス様がこれから死んでいくんだけど、弟子達はその時まで誰が一番偉いかと話していた。その中で最後の晩餐が進行していき、イエス様は28節のところで「あなた方はさまざまな試練の時にもついて来てくれた人たちです。王権を与えます。」と言われた。そのことを考えると、すごいなと思った。その後は結局ペテロがふるいにかけられること続く。ペテロにとっては裏切ってしまい、なんてことをしてしまったとなるけどイエス様はそれを見越して信仰がなくならないように祈ってる。立ち直ったら兄弟達を力つけてやりなさいと言われている。ペテロはどん底に落ちるが、イエス様の祈りがあって恵みで立ち直ることができた。私ももうだめだ立ち上がれないと思う時があった。立ち上がることができたのは同じように恵みを受けたんだと思った。だからこそ自分の力ではできない。自分はただの器だということがわかった。ガラテヤ6:3のことばが本当にそうだと思った。イエス様が死んでくださったのは自分がまだイエス様のことを知らない時にそうしてくださった。イエス様の方は愛してくださっていた。私としては表現できない気持ちになる。

(マリア)
ルカの22章、私も同じようなことを思っていた。イエス様が父なる神様に祈られた。でも答えがない。イエス様苦しまれた。弟子達は眠ってる。その弟子達のためにこれから死んでいかれる。苦しみを受けておられる。そのイエス様のことを思った。そのイエス様に私はいのちをもらった。弟子達と同じように、イエス様のことをわかってない。けど、イエス様は、そのために地上に来てくださった。環境や人のことばから喜びがなくなることもある。神様にある自分を知ること、みことばと聖霊に信頼すること、必要なことを、改めて思った。

支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&ロサンゼルス)

4/23 月曜日 ロス・バンクーバー 午前7時 
レべカ、マルタ

レべカ:
イエス様の死と復活が自分の身におきたこと、イエス様の弟子たちの過越しの食事は弟子たちの罪を背負うこと、一つになること、アダムが深い眠りに入り、エバが与えられたことも死と復活、結婚であったこと、繋がりを知ると聖書は深くておもしろい。次女になぜ旦那は病気で苦しまないといけないのかと聞かれ、旦那も次女もサタンという表現が抵抗もあり、イエス様の祝福をわかるように伝えられてない。

マルタ:
家族の場合、私の信仰、真理子さんの場合は真理子さんの信仰が何より大切で、その信仰を神様は使うと何度も教えられてます。

マルタ:
ルカ22:15のみことばで、イエス様がこの時をずっと望まれていたということばが心に残った。この時とは、ご自分が弟子たちの罪の為にご自分の体と血を、自ら望まれて給仕する時。この地上で生まれてからずっと、この時に向かって、目的の為に生きて来たと考えると感謝しかない。イエス様の死によって、弟子たちが生まれ変わり、教会が建てられた。私の父の昇天後に、家族のメンバーが救われ、教会に通っている。
人間の死も同じで、特にクリスチャンはその人の生き様が現れ、最後の役目を達成する大事な時。その死によって周りが救われていく。私も残された時間、その時に向かって生きて行きたいです。

夏のキャンプの話しもしました。

終わりの祈り レべカ、マルタ

オンラインシェアの報告4月7日(甲府⇄横浜)

昨日のオンラインシェア報告送ります。
時間:17:40ー18:10
参加者:マリア、ダニエル

最初祈ってから始まりました。

マリア:
今日、聖餐式の日に、Hさんが礼拝に参加しました(かれは昔5年前、日本での純さんのコンサートに来られたが、この数ヶ月、また久しぶりに、月一回程度で礼拝に参加しています)。彼らに、聖餐式の意味を、説明ができました。それが良かった。また、今日のメッセージにかんしては、室エジプトで、羊を14日に殺して、5日間見守ると言うのは、アブラハムがイザクを捧げたと似てる、イエス様に繋がってる、神様がこう言う事を民に教えたかった、とわかった。

多くの人(クリスチャンでも)がただ自分を見せてるな、と思う。また、復活前の12弟子達もそうだった。イエス様の清さ(子羊のように)がわかってない、その尊いことがまだわかってない、と思った。イエス様がしてくださったこと(犠牲)、感謝します。

ダニエル:
今日のメッセージで、1番心に残ったのは、出エジプトの12:6の「14日までに、その子羊を見守りなさい」、と言うこと。その「見守る」と言う短い言葉に、そんな深い意味があるとは思わなかった。それがイエス様の地上での最後の五日間と繋がってるとも思わなかった。今日のメッセージの最中、最低2-3回くらい、神様から、自分に「もっと静かになりなさい」と言う言葉を心で響いていた。イエス様にもっと見つめることだ、と言うこと。今の状態では足りない。メッセージ中、昔の静かな、イエス様が描かれてる絵を、思い出しました。だから、他の世にある快楽、distractionsに心を留めないことが必要、とわかりました。

ダニエル

ダニエル