2月2日支部のシェア報告(福岡・名古屋支部礼拝所)

2月2日(日)20:00〜

聖日礼拝メッセージからのシェア

(エステル)
世はあなたがたを憎みます・・・のみことばからの話で語られていたこと、世の基準じゃなくて(世の中の人でも愛し合っている)、イエス様の愛はそれに比べられない。神様の愛の大きさは世の基準とは違う。その愛を知った私は、その愛で愛するということをしているということ。ダヴァールに来てから、一つ一つ教えてくれることが、私には他では聞いたことがなかったようなことで、でも私の中ではそれはすごく本物だと思う。それが神様の愛の基準と繋がった。愛することに限らず、どういうふうに生きているかということについて教えられている。神様の基準は世の中の基準とは違う、高い基準。ダヴァールに来た時に本物だと思った、そのことを思い起こした。パウロは神様を信じるものとして一生懸命クリスチャンを迫害していた。良心ではわかっていたけど、自分は神様のためと良心に蓋をしてた、イエス様に出会って蓋をせずに悔い改めるということになった。それを聞いた時に、私もクリスチャンとして神様を信じて、神様のためにとか言っているけど、1週間の中にイエス様を伝えていなかった、1週間は自分の良心に蓋をして生きていたことと同じだなと悔い改めた。自分だけ救われて終わりじゃいけないなと思わされた。救われていながら、神様のことを伝えなかったらその後に責めが来る。それじゃいけないと思わされた。

(フルダ)
私も愛の基準について教えられた。兄弟姉妹や周りの人々を愛せなかった、やらなかった、できなかったというとき、自分の基準だからできないはずだと思った。自分の基準じゃできないということが改めてわかった。イエス様の基準、イエス様がその人を愛しておられるということ。イエス様はその人のためにも十字架にかかって死なれたということで自分の気持ちは関係のないこと。自分を捨て自分の十字架を負ってついて来なさい・・・のイエス様のことばとも繋がった。目標はイエス様の基準。伝道したい。