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日本:ダニエル バンクーバー:ナオミ
2/4(火曜)日本:22時半 バンクーバー:5時半
始めの祈り:ダニエル
ダニエル:
この前の日曜日礼拝のメッセージで、いろんな真理が心の中に纏まれてきて、感謝です。何ヶ月前に、「三つの規定」を学んでるのですが、そのコンテキスト(文脈)が少しわからなかった。今回、改めて、なぜその規定があるのは、いつもクリスチャンは霊の世界でサタンとの戦いがある、だから、とわかった。それで、「世的」という言葉は、ただ世の人達と同じことを求めてるのだけじゃなく、生温いという意味もある。また、世的のことに関して、何年前の冬のキャンプが始まる直前に、パスターとまさみ先生が、「世的な言葉をキャンプ中、言わないこと」、皆に注意をした。その時、私は、「聖書以外の話、絶対してはならない」という意味でその注意を受けた。だけど、何年か後、同じ話しを聞いて、その世的な話しとは、どの人と話ししてても、自分の中に、神様を心の中にベースがないと、世的になる、ともっとわかった。ただ聖書だけの話をすることじゃない。もっと広い意味があった。とにかく、世的にならないことは大事、と改めてわかった。
ナオミ:
礼拝から律法学者、祭祀らは戒めとは、心を尽くし、命を尽くし、神を愛し、自分の隣人を愛するという知識はあり、イエス様はその彼の答えにたいして、”それをしなさい”と言われた。”しなさい”、イエス様の言われる”する”とは何なのかを求めていきたい。詩篇51:17 から、神様が砕かれた心を求めていることを学び、自分は自分の行いに対して、反省し、その都度落ち込みます。イスカリオテのユダは悔いたが、イエス様の光から離れてしまっていました。義理父の目の手術がうまくいきませんでした。義理母は疲れやで否定的になり、その中で義理父はすべてを委ねている強さがあり、イエス様の憐れみの心を義理父から感じ取れました。イエス様がまず先に憐れんで下さったことを忘れないようにしていきます。
終わりの祈り:ナオミ