安息日礼拝のご案内

ご自由にご出席いただけます。どうぞお越しください。
毎週土曜日
日語部 午前9時〜10時30分
英語部 午前11時〜12時30分

聖日礼拝メッセージシリーズ

「光の子ども」 浅井 導牧師

最近の礼拝メッセージサマリー

浅井牧師による安息日礼拝メッセージの要約一部を載せています。

10/26/2024 「光の子ども」No.9

聖書箇所: マタイ 11:29-30、2 コリント 6:14-16 など わたしは心優しく、へりくだっているから、 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです(マタイ 11:29-30)。 私たちがイエス様とともに負うこの「くびき」 と、以下のみことばが述べている「くびき」とを 比べて下さい。

10/12/2024 「光の子ども」No.7

聖書箇所: マタイ 4:13-17、ヨハネ 5:39-44 など これは、預言者イザヤを通して言われた事が、成就するためで あった。すなわち、 「ゼブルンの地とナフタリの地、湖に向かう道、 ヨルダンの向こう岸、異邦人のガリラヤ。 暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、 死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」 この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。 「悔い改めなさい。天の御国

10/5/2024 「光の子ども」No.6

聖書箇所: 1 ヨハネ 1:1-7、2 テモテ 2:20-22 など 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、 目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 –このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです(1 ヨハネ 1:1-2)。 こ

9/28/2024 「光の子ども」No.5

聖書箇所: マタイ 1:16-17、2:1-12 など … マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご 自分の民をその罪から救ってくださる方です。」このすべての出来事は、主が 預言者を通して言われた事が成就するためであった。 「見よ、処女がみごもっている。 そして男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。」 訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味

9/21/2024 「光の子ども」No.4

聖書箇所: マタイ 1:16-17、2:1-12 など アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ(マタイ 1:1- 2)、… マタイの福音書はこの系図から始まります。系図はその人のア イデンティティの根源を示すもので、イエス・キリストがアブ ラハムの子孫、つまりイスラエル人として生まれ

9/14/2024 「光の子ども」No.3

聖書箇所: コロサイ 1:1、エペソ 6:10-12 など 神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。この御子のう ちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています(コロサイ 1:13-14)。 このキリストにある者の霊的現実は、パウロ自身がダマスコへの途中で体験を通して学んだことでした。私たちも以前は 「暗やみの圧政」に苦しんでいましたが、今

9/7/2024 「光の子ども」No.2

聖書箇所: 使徒 26:12-18、コロサイ 1:13 など このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました(使徒 26:12-14 節)。 この時の

8/31/2024 「光の子ども」No.1

聖書箇所: 使徒 26:12-18、伝道 12:11 など このようにして、私は祭司長たちから権限と委任を受けて、ダマスコへ出かけて行きますと、その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです (使徒 26:12-13)。 これは、当時カイザリヤで囚人として監禁されていたパウロが、アグリッパ王と総督フェストの前に語ったことばで

8/24/2024 「死と復活」No.20

聖書箇所: 使徒 26:16-18、1 サムエル 1:27-28 など ところが、道を進んで行って、ダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼を巡り照らした。彼は地に倒れて、「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた(使徒 9:3-4)。 サウロという名前は、ヘブル語では、sha’ul で「求められた (願われた)者」という意味です。これは、ハンナが神様に求 めることによっ