聖書箇所: エペソ 5:25-32、ルカ 22:24-34 など
夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。キリストがそうされたのは、みことばにより、 水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするた めであり、ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです(エペソ 5:25- 27)。
これは聖書において、教会がキリストの花嫁として描かれ ているみことばの一つです。キリストが義で聖なる方であ るならば、その花嫁も同じように「聖く傷のないもの」であり、またキリストが栄光に満ちた方であるならば、その花嫁である教会も「栄光の教会」です。このみことばで、 キリストが「教会を愛し、教会のためにご自身をささげられた」ということばに注目して下さい。それは言うまでも なく、彼が自分のいのちを捨てて教会のために死なれ、またよみがえられたことを指しています。それによって私たち教会が彼の死と復活を通して、彼と一体化するためであって、私たちは彼の花嫁になりました。
だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたの と同じです。私たちはキリストのからだの部分だからです。「それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、 ふたりは一体となる(29-31 節)。」
教会はキリストの花嫁であると同時に、彼の「からだ」で もあります。これらの比喩的な例えには、人間の創造の際 に、エバがアダムから造られた話が裏にあります。アダム にふさわしい助け手が見つからなかった時、神様は彼に次 のようになさいました。