聖書箇所: ヨハネ20:1-18、14:8-9など
そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。すると、ふたりの 御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとり は足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。 彼らは彼女に言っ た。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行き ました。どこに置いたのか、私にはわからないのです(11-13 節)」。」
この様子から、婦人たちが墓に入ってそのからだのないことに戸惑っていると御使いが彼女らに現れ、「あなたがたは、なぜ生きている方を死人の中に捜すのですか。ここにはおられません。よみがえられたのです」と語った時には、マグダラのマリヤはすでに 墓を去ったあとで、そのことばを聞かなかったことが分かります。他の婦人たちがほとんど既婚者であったの対して、彼女は、結婚の時期がもう過ぎていたのに、未婚の身のままイエス様に仕えていました。ルカは、彼女のことを「七つの悪霊を追い出していただいた」女として紹介し、イエス様のミニストリーの最初の頃から彼に従っていたこと を記しています(ルカ 8:2)。彼女は、イエス様のことをまるで自分の夫のように慕い、 彼に仕えていたことが想像されます。この「マグダラ(出身地)のマリヤ」という呼び方から、彼女が教会のすべての信者たちに広く知られていたことが分かります。
彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それ を園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに 置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります(14-15 節)。」
ペテロとヨハネが、弟子として教会を牧する羊飼い、また王なる祭司の代表ならば、マグダラのマリヤは、キリストの花嫁としての教会の象徴です。彼女が七つの悪霊から解放されたことは、この世に働くサタンの力からの解放を意味し、その後には、七つの御霊が彼女に住むようになりました。ペテロ、ヨハネ、そしてマグダラのマリヤはみな、キリストと一体化し、その死と復活を体験しました。ヨハネは、黙示録の冒頭で、地に存在する教会全体のことを指して次のように述べています。
ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方か ら、また、その御座の前におられる七つの御霊から、また、忠実な証人、死者の中 から最初によみがえられた方、地上の王たちの支配者であるイエス・キリストから、恵みと平安が、あなたがたにあるように。イエス・キリストは私たちを愛して、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力とが、とこしえにあるように。アーメン(黙示 1:4-6)。
キリストの死と復活は、私たちの死と復活であり、キリストが生きることは、私たちが生きることです。私たちは、私たちのうちに住む神の御霊のゆえに、孤児でも未亡人でもありません。泣いてはいけません。
わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところ に戻って来るのです。いましばらくで世はもうわたしを見なくなります。しかし、 あなたがたはわたしを見ます。わたしが生きるので、あなたがたも生きるからです (ヨハネ 14:18-19)。