安息日礼拝説教サマリー

浅井導牧師

10/26/2024 「光の子ども」No.9

聖書箇所: マタイ 11:29-30、2 コリント 6:14-16 など

わたしは心優しく、へりくだっているから、 あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです(マタイ 11:29-30)。

私たちがイエス様とともに負うこの「くびき」 と、以下のみことばが述べている「くびき」とを 比べて下さい。

不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、 どんな交わりがあるでしょう(2 コリント 6:14)。

くびきは、二匹の動物の肩に乗せる横木のことで、力を合わせて同じ方向に荷車を引いたり、土を耕したりするためのものです。光と暗やみがどのようにして同じ方向に力を合わせ引くことができるでしょうか。あなたが光の方向に進もうとしても、あなたとくびきをともに負っている暗やみの子どもは、 光を嫌い、あなたを後ろへ引っ張ろうとします。上のみことばは続けて次のように言っています。

キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです(15-16 節)。

「ベリアル」とは、ヘブル語で「価値のない」という意味で、 死海文書の中の「戦いの書:光の子らの闇の子らとの戦い」と 呼ばれる書物の中では、闇の子らの隊長のことを指します。キ リストが光の王ならば、闇の王はサタンです。よってこの「キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう」とは、光と暗やみとの戦いを前提にした問いかけです。でも、聖書によれば、この戦いは霊的なもので、目に見える人や国との戦いではありません。

悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです(エペソ 6:11-12)。

しかも、もっと大切なのは、この光とやみの戦いはキリストにあってすでに勝負が決まっており、光の子どもである私たちが勝利し、暗やみは、私たちの放つ光に打ち勝つことはできないという事実です。

(説教サマリー「光の子ども」No.9より)

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