安息日礼拝説教サマリー

浅井導牧師

10/5/2024 「光の子ども」No.6

聖書箇所: 1 ヨハネ 1:1-7、2 テモテ 2:20-22 など

初めからあったもの、私たちが聞いたもの、 目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて、 –このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです(1 ヨハネ 1:1-2)。

これは、ヨハネの福音書を書いたヨハネによる手紙で、福音書と同様、キリストを天地創造の前から存在しておられた、ことばなる神として描いています。そして、それを 「私が聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの」と述べているのは、そのことばなる方の臨在、しかも、人として形をもって私たちの間に住まわれた方の臨在を目撃したことを強調しています。その最初の目撃者である第一世代の者から、次の世代の者たちへの移行を次のように伝えています。

私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです(3 節)。

いのちのことばなる神の最初の目撃者から次の世代への移行、またその広がりのこと を、「私たちの交わり」として表現しています。それは、横の交わりであると同時に、「御父および御子イエス・キリストとの交わり」とも呼んでいます。つまり、 御父と御子の臨在の中に、まずヨハネのように第一世代の者たちが入り、次に、彼らを通して第二の世代の者たちも入って来たことを示しています。この御父と御子との交わりが、私たちに真の喜びを与えるもので、私たちも同じように、御父の愛する御子の支配の中に移された証拠です。

私たちがこれらのことを書き送るのは、私たちの喜びが全きものとなるためです(4 節)。

ヨハネはさらに、この神の臨在を光に例えて、次のように説明しています。

神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。これが、私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせです(5 節)。

「私たちがキリストから聞いて、あなたがたに伝える知らせ」 とは、ヨハネの福音書に出てくる「わたしは世の光です」とか、「光がある間に、光の子どもとなるために、光を信じなさい」といった教えのことを言っているのは当然です。この光は、霊的な光で、霊の眼をもってしか見られないので、イエス様は「光を信じなさい」と言っています。光とはイエス様ご自身であり、そのインマヌエルなる方を信じる者は、彼と御父との交わりの中に入れられ、光の国の一員となります。

もし私たちが、神と交わりがあると言っていながら、しかもやみの中を歩んで いるなら、私たちは偽りを言っているのであって、真理を行ってはいません(6 節)。

(説教サマリー「光の子ども」No.6 より)

安息日礼拝の説教サマリーから一部を抜粋して掲載しています。 全文はストアからご購入できます。