聖書箇所: マタイ 1:16-17、2:1-12 など
アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。アブラハムにイサクが生まれ、イサクにヤコブが生まれ、ヤコブにユダとその兄弟たちが生まれ(マタイ 1:1- 2)、…
マタイの福音書はこの系図から始まります。系図はその人のア イデンティティの根源を示すもので、イエス・キリストがアブ ラハムの子孫、つまりイスラエル人として生まれたことを示しています。アブラハムも、ダビデも神様と契約を結んだ者で、 アブラハムには、その子孫が増え、一つの国となること、ダビデにはその子孫を通して国が確立することが約束されました。 しかし、大事なことは、アブラハムを通して地上のすべての民族が祝福されること、またダビデの王国は永遠に確立するということです。聖書は、この二人とも、その子孫たちよりも、一人の子孫を指して「あなたの身から出る世継ぎ(zar’akha
… ’asher yetseh mimme’eikha)」を通してその約束が実現すると言っています(創世 15:4、2 サムエル 7:12)。マタイは、 その一人の子孫がイエス・キリストであることを示しています。だから、その系図の最後では、次のように言っています。
ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデから バビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる(16-17 節)。
せっかく長い系図を載せたのに、最後の時点で、その逆転とギャップになることが書かれています。逆転とは、ヨセフの系図を載せておきながら、イエス・キリストがマリヤから生まれたということ、ギャップとは、バビロン移住によって国は破滅し、その王がいなくなったということです。この二点は、イエス・キリストが、生物学的なアブラハムとダビデの系図において生まれたというよりも、霊であられる神様との契約によるものであること、しかも、ダビデに約束された国も、目に見えるイスラエルの国ではなく、霊的な神の国であり、その王として彼がお生まれになったことをほのめかしています。
イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった(18節)。