安息日礼拝説教サマリー

浅井導牧師

4/27/2024 「死と復活」No.5

聖書箇所: ガラテヤ 5:24-25、ルカ 22:31-32 など

キリスト・イエスにつく者は、自分の肉を、さまざまの 情欲や欲望とともに、十字架につけてしまったのです。 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれ て、進もうではありませんか(ガラテヤ 5:24-25)。

人には二種類の生き方ができて、一つは霊によって、もう一つは肉によって生きる生き方です。それは、人の中に二人の人格者が住んでおり、どちらが王座に座るか、あるい は、どちらが車の運転席に座るかによって、その違いが出て来るからです。一人が自分の行きたい方向に進めば、もう一人は隣の席にいて、導かれて連れて行かれる形になり ます。その二人とは、神様から遣わされた人の霊と、人の創造の際に誕生したたましいのことです。

神である主は土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで人は生きものとなった(創造 2:7)。

「土地のちり」から「形造り」だされたのは、からだのことで、「その鼻」に「吹き込まれた」のが人の霊です。こ の霊のことを「いのちの息」と呼んでいます。それは、三 位一体の神のおひとりの聖霊のことではなくて、御使いと 同じように、神によって創造された霊なる人格者です。預言者ゼカリヤは、ヤーベの神のことを、天と地と人、特に 「人の霊(ruach ‘adam)」の造り主として、以下のように述べています。

宣告。イスラエルについての主のことば。−―天を張り、地の基を定め、人の霊(ruach ‘adam)をその中に造られた方、主の御告げ(ゼカリヤ 12:1)−―

また、箴言では、この人の霊のことを「人間の息 (nishmat ‘adam)」と呼んでいます。

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