ダヴァールインターナショナル

6月25日 支部のシェア報告(甲府・東京支部礼拝所)

礼拝後の婦人シェアのご報告です。
エステル(東京支部)、ルツ(甲府支部)
時間:13時〜13:30

エステル:昨日の礼拝のメッセージでサウルのことが話され、ちょうど10年前に同じ箇所から学んだ夏のキャンプを思い出した。その時、ただサウルは悪いとだけ思っていたが、自分の中にこそサウルのような世で自己イメージが高いのに、神様の前に低い、という要素があることを知った。それから、10年経って少しずつわかってきた部分もあるが、まだ自分のポジションを守りたい心や、人からの見た目を気にする心、競争する心など、自分にまだある部分が示された。ドリルをやっていて、サウルがなかったのは神様への愛だとよく分かった。何でも、神様への愛がないなら、捧げ物をしても奉仕をしても意味がない。いつも愛で行動したい。

ルツ:今日の礼拝のメッセージから、人間が神様のみことばを食べて生きるものだということが、改めて分かった。
最近、知り合いに色んな宗教のことを知っているように話す人がいて、キリスト教は「世の中色々悪いことがあるけど、天国に行けることが希望なんだよね」と言われた。違う、と思いつつもその場では言わなかったが、クリスチャンは、神様の言葉を食べてこの地上で神様の代わりに治めるために造られた、とダヴァールで学んだ真理を思った。みことばの意味を、今も礼拝で教えられている。クリスチャンでもダヴァールの人たち以外は、この真理を知らないのではないかと思う。この真理の中に入れられたということ、周りの人にもっとそれを伝えなければいけない。また、それを神様の愛で行なっていきたい。

エステル(東京支部)

6/18 シェア報告(香港・東京支部礼拝所)

◾️日時:2023/6/18 14:00~14:17
◾️参加者:香港 ハンナ、東京 プリスキラ
◾️テーマ:聖日礼拝からのシェア
◾️内容:

<香港 ハンナ>
今日の礼拝で一番印象的だったのは、イザヤ22:2「すべての国々がそこに流れてくる」の箇所。この1週間自分に起こったことと合致した。今週、キャンプに参加することを迷ってる中、夢を見て、イエス様の顔が窓枠いっぱいに出てきた。「何かを伝えようとしてる」とわかった後、その日の昼に、牧師夫人からもう1通メールが来て、「(空港まで)迎えに行くよ」、と言ってくれた。神様から、絶対にキャンプに呼ばれてる、行かないわけにはいかない、とわかって、そこからフライトの手配をして、(ロスでのキャンプに)行くことになった。自分の考えや感情などの重力に逆らって、上から吸い込まれるように呼ばれた、、というところが、今日の礼拝内容と同じだった。また、行くと決めてしまえば、チケットのこともお金のことも、必要は神様が満たしてくださることもわかった。(チケットを取った後に、図らずしてディスカウントなど貰えたのも感謝だった)

<東京 プリスキラ>
モーセとイスラエルの民の例から、引き続き学ぶことがたくさんあった。自分たちは聖別せずに、「モーセから神様のことばを聞ければ大丈夫」という態度の民は、結局すぐに偶像礼拝してしまい、エルサレムは滅ぼされてしまった。自分を聖別しない(何もしない)と、どんどん世の中に染まっていってしまう。今回キャンプに参加することを決めたのをきっかけに、意識的に聖別することを考え、祈りの課題を主人と一緒に祈ったり、キャンプの準備を始めている。このように、自分を聖別することがどんなに大切なことか、この真理を教えてもらえる教会に導かれたこと、感謝。「心の一新によって」「心を尽くして」など、聖別には努力も必要であることも学んでいる。もっともっと清められていきたい。

最後に、今月からペアになって一緒にシェアをしてる二人(ハンナ、プリスキラ)が、揃ってキャンプに参加できるようになったこと、このように励ましあえていること、これも神様の導きだね、と感謝し合いました。

(東京支部・婦人

5月28日 支部のシェア報告(長野・川崎)

日時:5月28日(日) 22:00~22:30(長野、川崎)

【参加メンバー】
マリア(川崎)
ハンナ(長野)

マリア(川崎)
先週、まさみ先生に職場の上司のため、悪霊を縛って祈ることを教えていただいてから、毎日祈り、職場が明るくなったことを見ている。HBSドリルをやる中で、箴言3:19、20で神様が知恵によって天地を造られたことが書かれていて、21~26節での自信がどこから来るのでしょうか、と言う質問があった。今職場で体験しているように、みことばを教会で教えていただき、それを実行するとき、この自信がくると分かった。ずっとクリスチャンホームでも、今のようにみことばを食べる、と言うことをしていなかった。それは、箴言のようなみことばを読んでも、解説してくださる牧師家族がいなかったから。今、ダヴァールでみことばを教えていただき、実際生活ですることをみことばにより教えてくださっている。すごい恵みであることを感謝した。この恵みは、私だけでとどまっているべきものではないから、いただいた恵みを周りの人たちに渡すよう、イエス様のことばを話して行きます。

ハンナ(長野)
今回、10年振りに日本に帰り、実際に両親や友達に会ったが、クリスチャンになってから初めて会う機会だった。どこにいても、いつでも常に、神様を心にとどめていることはできている。母は、家で礼拝の時間に行こうとすると「勉強の時間ね」、と言うが受け入れている反応。礼拝を家でして、賛美を実家でできたこと、晴れやかだった。姉とは、どうして自分がクリスチャンになったか、また、「イエス様が地上に来てくださったから救われている。だから喜んで生きるのがクリスチャン」ということを伝えた。今はとにかくずっと久しぶりだった人たちの話を自分も聞くことをして行きたい。自分から言うよりは、まず聞くということをしたいと思っている。

最後の祈り:ハンナ(長野)

報告:マリア(川崎)

5月14日 支部のシェア報告(香港・名古屋・東京・甲府支部)

支部間のシェアーの報告です。
5/14(日) 13:30ー13:50

(ハンナ― 香港支部)
今日のメッセージの中で、
礼拝とは仕事であり、その仕事とは人がするすべてのことだと言われていた。日本語で仕事というと、お給料をもらう仕事と考えてしまう。先週あった仕事のトラブルを思い出した。トラブルとなるとお金の損失が発生する。その損金になってしまったところを取り戻すかということを考えると嫌になって気分が沈んでいた。この世の仕事は仮のもので、私の本当の仕事は神様を礼拝すること。その信仰によって、気持ちを変えていくことが大切だと思った。そのトラブルも、結果的に神様が解決してくださった。良き神様に感謝して生きていく。

(マリヤ― 名古屋支部)
今日の詩篇の1篇の箇所から、神様を教えを喜びにするという人の生き方をみた。母親と大喧嘩をして、もやもやして、いろんなこと考えて、悩んでいたけれど、今日の礼拝で詩篇のところを改めてみて、自分がみことばを愛して、イエス様に仕えていく生き方は、誰が、何を言おうとも変えられないなということは改めて受け取った。自分は神様の言葉から喜びをもらっていることは間違いないということは確信を持った。神様からくる本当の喜びを他の人とも分かち合っていきたい。自分の喜びは神さまにあるんだということをもう一度受け取った。

(サムエルー 東京支部)
礼拝の冒頭でヨハネ4:23の前の箇所から。礼拝者として神様は求めている。人も神様に祈って求めているが、神様も求めているという部分で自分は神様に求めているのかということ疑問に思った。あまり、神様に求めるということをしていないなと思った。大きい問題があれば必死に祈るが、日々の生活の中だと、なんとなくどうにかなってしまうので、神様に祈ってないことがわかった。細かいことでも神様に頼る生活をしていきたい。

(ルツー 甲府支部)
人間的なものを頼みにしない。神様を誇るというところが足りていないな思った。子供のバイト先で、昔から子供と遊ぶのは好きだし得意で、絵を描いたり、体操したり、それによって、子供の可能性を引き出しているつもりでいたが、子供が群がって子供のテンションが高くなってしまうことが、
職場全体としてよくないという注意を受けた。よってくる子供達よりも、静かにしている子たちの方が危険。飛び出したり、急に喧嘩を始める。そちらを見てほしいと言われた。子供が群がるのは、自分が子供の話をきちんと聞いているからだと思っていたが、自分の能力を誇りとしていて、自分に誇りを持っていたからなのかなと感じた。ただの自己満足だったのかも。そのことについて一週間ずっと考えている。自分はどうするべきかという答えがまだ出ていないが、神様を誇りとすることを忘れずに生きていきたい。

5/6 礼拝シェアのご報告(東京・バンクーバー支部礼拝所)

日時 5/6(土) 日本 20時5分から20時35分 / バンクーバー 6時5分から6時35分

エステル(東京支部):祈り

マリヤ(カナダ支部)
昨日のリーダーズ会より、ローマ12:1 あなたがたのからだを神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として捧げなさい。それこそ、あなたがたがにふさわしい礼拝です。礼拝は生き方と学んだ。次に続く、12:2この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心に新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるかを見分けるようになるます。に繋がる。わたしの家族、周りの人の信仰も、わたしの生き方に関わることを心に留めていきたい。

エステル(東京支部)
イスラエル人が新しい都に入っていく時、神様はアマレク人を滅ぼすように告げたが、サウル王は神の言葉を軽く取り、自分の好きな者を残し、神の言葉に従わなかった。この世から取り除かれた者の生き方は、この世と調子を合わせてはいけない。来週、コロナで延期になっていた会社も歓迎会がある。神様のことを証したい。が、態度が証になることを学んでいるので、自分の頭で考え過ぎず、世との違いを恐れず、会話をしていきたい。自分の中にある、神様からの聖さ、大切にしたいものを大事に守っていくということが、律法的でなく、神を愛する心として証となる。(いのり会で引用された態度によっての証→エペソ5章、6章)

この後、東京支部で行われたミニミニキャンプの様子を聞きました。

エステル(東京支部)
兄弟姉妹が集う度に、仲良くすることと愛しあうことの違いを常に学ばされてきた。愛し合うとは自分の感情とは関係なく、その人を愛すると決め、神の家族として共に過ごす。今回も皆で食事したり、交わる機会があり、互いに清め合う機会が与えられた。自分がイエス様の十字架の血潮によって赦されていて、赦されている自分として、相手も赦されていることを分かち合うことが兄弟姉妹として一番感謝なこと。

メッセージを聴いて神様が何を喜ばれるか学んでいる者同士なので、神様のみこころは何かを考えてやるようになってきた。一つ一つに神様の知恵が必要。自分の考えが入ると相手の励みにならないこともある。

マリヤ(カナダ支部)
成長の度合いもわかる機会になりますね。

マリヤ(カナダ支部):祈り

(カナダ支部・婦人)

5月7日 支部のシェア報告(香港・甲府・名古屋支部)

5月7日13:30~13:45

聖日礼拝からのシェアを行いました。

ハンナ:香港支部
ローマ12:1にある「霊的な=理にかなった」を聞いたことがあったが全然できてなかったことに気付かされた。霊的なものはロジックとは正反対と思い込んでいたから。「理にかなった」ことは、哀れみを受けたものとして当然するべきこと。すべての人をゆるしましょうと言われる度に自分ができてなかったことを思う。

神様の栄光のために生きてない。自分が可愛いので人がゆるせていないと思った。イエス様はご自分を捨てて死んでくださった。だからちゃんとしてかないといけないと思った。

ルツ:甲府支部
ミニキャンプで東京に参加した。普段は一人で礼拝しているが、たくさんの兄弟姉妹と交わりを持てて気づきがあった。皆それぞれ性格が違う。違うからこそいろんな意見を出し合って、ぶつかってもその中でも相手の意見も受けてめて、良い解決策も出たり、違うからこそいろんなアイデアが生まれる。神の家族はいいなと2日間で学んだ。交わりを持つことと良く言われるが、実際に体験してわかることがあると感じた。甲府も多くの人が集まって皆で教会を建てあげていくことを願う。私たちは真理を学んでいるからうまく繋がるんだと思った。

ラケル:名古屋支部
自分のためにではなく死んでよみがえった方のために生きること。を数週間前に受け取って志しを与えられたが、忘れかけている自分に気づき、24時間礼拝してないからだとわかった。人間だから全くイエス様の様にはできないけど、24時間礼拝する生き方をして、少しでもイエス様に近づきたい。

(名古屋支部・ラケル)