ダヴァールインターナショナル

3月10日 支部のシェアのご報告(名古屋⇄福岡)

3月10日(日) 20時-20時半
日曜礼拝のメッセージからのシェアをしました。

(ハンナ)
私たちが火皿だと言われ、ワーオと思った。この世から取り出されて、火で清められて残った聖いものとされたことが本当にすごいことだと思った。出エジプト30:29にもあるように最も聖なるものとされたこと、そういう自分として、信仰の上に立っていく。礎の上にどうして火皿を置いたのかということも前よりもっとわかり、それもワーオと思った。
先週も学んだルカ19:38~の箇所で祭りをしていたというところから、イエス様の真剣さによって救われたことを考えるともう祭りをする気になれないと思った。

(マリア)
民数記16章のコラの話から、祭司の堕落してしまったことを聞き、その堕落は損得を考えるようになり自分の事しか考えない状態になってしまい汚された神殿。でもそれがイエス様の死と復活、その贖いがあり、きよめられ再建された神殿が教会で、火皿で香をたくことは賛美がささげられ祈りがささげられる場であると聞き、この福岡礼拝所も祈り、賛美が捧げられて、神様との交わりの場であるべきだと思った。

3月9日 支部オンラインシェアの報告(横浜⇄福岡)

支部オンラインシェアの報告です。

日本3/10(日)午後1:30、メンフィス3/9(土)午後10:30開始(35分間)

参加者:ダビデ、モーセ
始めのお祈り:ダビデ

(ダビデ)今日の礼拝では一貫してろばのことが頭から離れなくて、どういう意味か考えながら聞いていた。イエス様に従って柔和になるようにと受け取った。

(モーセ)先週の礼拝から引き続き神様の言われる柔和とか謙遜とか私には分かっていない事が多く探りながら聞いている。自分の考えを捨てるとか、高ぶりをなくす事がそれに繋がるだろうと思い起こされている。他人に対しても自分を比べて何か勝ってると思って接していれば、柔和な態度になっていないのだろう。明日(日曜日)こちらの礼拝でメッセージを聞いてもっと自分のものにしたい。

(ダビデさんの今後の就職の予定などの話になり、モーセも過去の派遣会社の経験などをシェアしました。)

祈りの課題:
(ダビデ)土曜日からの仕事で喜んで健康で働けるように。ロバのように忠実に働いて栄光が現されるように。
(モーセ)山梨、香港など今は少人数でいる支部の人が強くされて用いられるように。教会の人たちで協力して皆が成長していく事。

最後のお祈り:モーセ

3月9日 聖日礼拝のシェア「兄妹の家」浜松⇄ロサンゼルス

3月9日  ロス時間午後10時より、礼拝のシェアをラインにて行いましたので報告を送ります。

ラザロ、マルタ、マリア

ラザロが祈り、シェアを始めました。

ラザロ:
イエス様が平和の君、平和をもたらす為に、いのちを捧げて下さった。人間の罪を無くすために、平和のために、自分のいのちを投げ出した。そのことを改めて考えた。
マリア:
神の栄光というのは、人が思う栄光ではなく隠されている。死んだことが今までの一番の栄光とは、普通考える栄光とは違う。そのことが気になった。神様の側では古い自分は死んだ。そのことを感謝する。受け取る信仰を持つ。
マルタ:
エルサレムに来たのが死んでいく為。誰も知らず、1人で死んで行かれた。どんな思いだったのか考えた。この地上での一番栄光が起こされたのが、イエス様が十字架でわが父、わが父と叫ばれた時だと初めて知った。自分は何の為に救われ、今火皿とされているのか、もっとよく考えたい。
この後、聖書朗読:ガラテヤ6章を朗読しました。聖書箇所のシェア、その後各自が祈り終わりました。
報告:マルタ

3/3 支部オンラインシェアの報告(名古屋⇄福岡)

3月3日(日)
20:00~20:35

礼拝からのシェア

(ハンナ)
今日の聖餐式で、イエス様のからだと血について、最近学んだ中で最も聖なるもの以上の聖いものことを考えながらイエス様の血とからだを私の中に入れた。それをすることで新しい創造が起きていることを受け取った。それが起きる時平和が訪れ、感謝した。それから後は祝福しかないことを受けていこうという思いで聖餐を受けた。メッセージではイエス様がロバに乗る話から、イエス様の柔和さ、謙遜さのことを聞いて、自分自身の高ぶりを示されて、それを捨てていこう、もっと謙遜なものになりたい、成長していこうという思いが湧いてきた。

(マリア)
ルカ19章の今日読んだ箇所の理解が前より深まった。「祝福あれ」と言って叫んだ人々は祭りをしていたこと、それをイエス様は知っていながらもご自分の目的のために真っ直ぐエルサレムに向かっていたことなど。イエス様の心を自分なりに考えた。そのイエス様の生き方に自分の生き方を重ねて似たものになっていきたい。
今朝聞いたキャンプの祈祷会から、ヘブル4:12のみことばがたましいと霊の分かれ目を差し通す、神様が人間の意思を変えることができると言うことを聞いて、それを知っておくことはたましいのケアをするのに大事なことだと学んだ。

このことから、互いのたましいのケアについて神様に委ねることを学んだということをそれぞれシェアしました。

2月10日 聖日礼拝のシェア「兄妹の家」浜松⇄ロサンゼルス

2月10日  ロス時間午後10時より、礼拝のシェアをラインにて行いましたので報告を送ります。

ラザロ、マルタ、マリア

ラザロが祈り、シェアを始めました。

ラザロ:
今日のところ前の礼拝からの続きで、神様と繋がることによって、流れができるということを言っていて、神様と繋がる必要があって、それを持つためには神様に委ねること。改めて信じることが大事なことを考えた。

マリア:
イエス様を生活の中心に置くことが大事。神様との平和=その為には和解が必要だった。すでにイエス様を信じているから救い(霊的、物質的すべて)を受ける資格があって、神様もそれをあげたいと望んでおられるけど、それを受けるには、自分の家の中にイエス様を置く。そして自分だけではなく、他の人たちもそのいのちの流れを受けることができる。

マルタ:
この所、その場所が自分の家になること。平安の家になるには、自分のために生きるのを止めて、イエス様の為に生きること。あなたの家が教会ですよ。と説教を通して言われたことばが残った。教会であるなら、家が聖い場所であることが条件だと思った。

報告:マルタ

2/12 支部オンラインシェアの報告(横浜⇄甲府)

日時:2/12 22:00-22:40

最初に、マリアさんが祈りました。

アビゲイル:最近のメッセージで、家の教会のことを言われていた時、自分は言われたからやる、では良くないと思っていた。しかし、メッセージで「人間で家があればできる」と言われていたこと、また牧師夫人が支部シェアの返信で「人間関係も、すべての祝福も、自分を腹の底まで知っているイエス様との1秒1秒の関係で決まる。すべて表に出てくる」と書いてくださったことから、自分が神様に用いられたい、そして喜び・平安が欲しいというそのままの動機で良いのだと分かった。他の人に神様を知って解放されて欲しい、イエス様の愛を知って欲しいと言う願いはある。それよりも自分自身や家族を救いたいと言う願いが強くても、「石をおけばその日から祝福される」と言うみことばを受け取り、牧師家族に言われたことをやっていく。
冬のキャンプでも、熱を出してしまったが、最初の日、最後の日の礼拝に出ただけで、神様の臨在、愛、喜びの中に浸かって過ごすことができて本当に素晴らしかった。またその後に牧師夫人が子供達に話しかけてくださったことからも、愛の中にいることが分かった。その後、礼拝に出れなかった時も、よく見るような人間同士の情の関係ではなく、すべて神様の秩序の中で行われていたから神様のみことばをそのまま心に留めて置くことができた。今日の昇天式でも、自分の人生を真剣に生きることを教えられ、神様の導きを知ることができた。感謝。

マリア:昨日名古屋で礼拝に参加した。今日も、昨日のことを考えながらメッセージを聞いたが、「パイプの太さが一人一人違う」と言われていた時、昨日自分の目の前にいた牧師先生から流れていた霊の大きさを思った。祝祷も、その場にいるだけで清められたと思った。牧師先生は、神様のことを考えていて赤信号が見えなかったり、家を間違えてしまうことがあったと前に聞いた。そこまで神様のことをいつも考えているから、神様との間のパイプが太くなる。昨日の礼拝の後のランチでも、まだ教会で新しい方に対する牧師先生、牧師夫人のことばは、「あなたがここにいること自体、神様の恵みなんだよ」と教えられていて、その人の心に響いており、これから変わるだろうと言うことを見ていて発見した。裁くことと愛を持って教えることは違うと分かった。自分もパイプを広くして、他の人を励ましたいと、昨日と今日の礼拝を通して思った。

最後にアビゲイルが祈りました。

報告:アビゲイル

2月4日 支部オンラインシェアの報告(横浜⇄福岡)

日曜日に、ダビデさんとオンラインシェアをしました、その報告です。
時間:13:35ー14:00

ダニエル
今日の礼拝、教会学校をしたため、まだ聞いてはいなかったから、キャンプで一つの祝福シェアした。キャンプで一つ大きく体験したことは、奉仕の大切さ、奉仕の心でした。今回のキャンプ、色んなシェアグループリーダーの奉仕が与えられて、それは感謝です。特に体験したのは、今回のキャンプメッセージでも語ってた通り、一人一人は本当に違う、それを前より実感できた。同じみことばの話をほかの人としてても、例えその前の日に、違う人と話した、同じ話し方をしたら、うまくいかない。皆違う性格を持ってる、違う体験をしてきたから、それにもっとsensitive である必要がある。

ダビデ
最近仕事が変わってきて、上司と話の中、イエス様、神様のことの話ができた。また、期待してないとき、ある日(一月の時)、仕事終がわったら、その上司の車に乗せられて、そこでもっと詳しくイエス様の十字架、復活伝えることができました。人と話すとき、毎回良い戻って来る反応は良い反応とは限らないですが、こうゆう機会が与えられる時、嬉しいです。

そのあと、5分ぐらい、ダビデさんの新しい仕事について話しました(食材サンプリング、販売などの仕事)。以前、同じ職場で働いてたが、しばらくそこで働いていなかった。ただ、今度のキャンプに対する費用がもっと必要と思ったら、また仕事新たなに探す時、改めてその前の職場から連絡がありました。イエス様の証人としてやりたい、とダビデさんが言った。

最後、祈って終わりました。

ダニエル

1月20&21日 支部オンラインシェアの報告(福岡⇄メンフィス)

福岡1/21 13:30、メンフィス1/20 22:30(40分間)
参加者:ダビデ(福岡)、モーセ(メンフィス)

最初のお祈り:モーセ

(ダビデ)
先週から新しい仕事が始まったが、そこで自己紹介をした時に、私はクリスチャンで週末は教会に行くので勤務はできないことなどを話した時に相手から「意味がわかりません」と言われた。入社して最初の為、支社長が同行して営業をしたがうまく行ったのでフルタイムの社員にしたいという話をされて、土日の勤務の条件として伝えた時にそう言われた。その方は仕事にも信念を持ってされているので、イエスさまを伝えたら興味を持ってもらえるかと思ったが、経験したことのない反応が返ってきたので戸惑って話はそれで終わった。教会の人たちからは、祈ってまた機会が来るのを願ったら良いのではと言っていた。
(モーセ)
そいういう方はいるので相手の反応にされずに「そうですか」で終わりで良いのではないでしょうか。その方が準備されていなければ無駄になる。その方のために祈ることはできる様になったので、また次の人に目を向けたらどうでしょうか。
(ダビデ)
メッセージからは使節の生き方として清さの追求が必要と受け取った。具体的にどれがというのは伝えられないが。
(モーセ)
いつも指摘されていることだが、自分の益のために何かすることをもっと無くして行きたい。人と接するのは会社にいる時だが、何かを決断するとか人と話す時に、自分の為にだったと気付かされる時があるので。そいうところが教会活動にも影響をして来ると今日学んだ。その逆に会社活動に教会で得たことが広がる様にしたい。何でも神様が働かれる生き方をしたい。
(松本さんの会社の人の話と関連して)昨年まで会社にいた日本人の上司格の人と切掛があって神様の事を話す様になってキリストの事を話したが、その方は色々な宗教の話を出してキリストはその中の一つとの捉えて議論の様になっていた。そいう事からももっと人の反応に左右されず自分を捨てて、導きで話すことの必要性を学んだ。ダビデさんは正社員に採用されそうなのか。
(ダビデ)
話は特に進んでいないが、平日もライブ配信に参加するので難しいと言おうと思っている。
(モーセ)
礼拝は大事だが、ライブ配信でなくてもMP3とかメッセージを聞く方法はあるので、キャンプなどに向けて仕事をしっかりさせた方がいいのでは。
(ダビデ)
ライブでなくても礼拝場にきて参加できる。交通費が掛かるが。
(モーセ)
会社でも真剣に取り組むことは大切なこと。クリスチャンなら他の人の倍働けと言われます。

お祈り(モーセ):福岡、メンフィス含め支部に新しい人が導かれて来ること。それぞれ自分の置かれている場所に「石」を置いて御心を取っていくこと、導かれた人に大胆にイエスさまの死と復活を語る勇気が与えられる様に。

終わりのお祈り:ダビデ

1月20日 聖日礼拝のシェア「兄妹の家」浜松⇄ロサンゼルス

20日 ロス時間9時:30分より、礼拝のシェアをラインにて行いましたので報告を送ります。

ラザロ、マルタ、マリア

ラザロが祈り、シェアを始めました。

ラザロ
今日は石を置きなさいということがメインの話だったと思うけど、石を置くということが、どうしても自分、自分と優先してしまうけど、神様優先、第一に考えることが大事。大変な時には神様に向くけど、家族、生活が安定したら、また自分優先になってしまう。牧師先生は文字通り実践されていて、それをやることですべての流れが変わる。そういうものだと神様の意向に沿う、一番に考えることを今日の説教から学びました。

マリア
私もその土台、石を置くことを考えた。自分なりに、自分の生活の中でイエス様を土台にしているのか?そうでないと良いものを周りに流すことができない。今の自分の生活、現状を考えた。

マルタ
聖さのことを考えた。聖さがないと祝福されませんよ。ということばが心に残った。聖さは単なる形式的なことではなくて、イエス様を愛して神の国を求めることに集中することだと受けた。

最後に各自が祈り終わりました。

報告/マルタ