ダヴァールインターナショナル

10/20 支部間でのメンズシェア(ロサンゼルス&名古屋&バトルクリーク)

聖日礼拝のシェアから〜

(ダビデ)
魂のケア、伝道活動などにはみことばを伝えることが重要と聞いて考えさせられた。自身でも人に何かやっても、みことばや聖書のことを言っていないことが良くある。聖書が何と言っているかを伝えないと神様の方を向けない、と言うところに「その通りだ」と思わされた。聖書のことを話そうとして固くなることがあるので、自然と受け入れ易いようになりたい。訓練が必要。

(サムエル)
不正の管理人の話で、自分を捨てること、世の中のこと、世の人が求めることを求めてはイエス様に近付く事できない。前から自分を捨てろと言われている。お金を求めるなとも言われて、別々のことを言われてると思っていたが、全部自分を捨てることに繋がっている事が、やっぱりそう言う事だと学んだ。

(モーセ)
不正の管理人の話は何回も聞いて分かったつもりでいたが、今回違ったことを教わった。自分宝をどこに積むかの話と重ねると、「負債」は宝で、自分の為に私服を肥やすのでなく、人を助けることで天に宝を積む事とつながっている。今までなんとなく引っ掛かっていたのがまた一つ理解ができたこと嬉しかった。実際にそれをやって行くことを新たに示された。

6月29日 支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&バトルクリーク)

オンラインシェアの報告です。

6/29 バンクーバー午後8時、バトルクリーク午後11時

バトルクリーク ダビデ
バンクーバー レべカ

始めのお祈り:ダビデ

(ダビデ)職場が変わって全く知らない人たちと関わる事で、謙遜さとか「隣人を愛する」事が訓練されていると今日のメッセージを聴きながら思わされた。自分の苦手なパートで改善したいところである「他人と会話」。表現すること。会社で勤務前に聖書を読むことを始めている。まずは自分一人からだが周りの人が巻き込まれていくようにしたい。

(レべカ)礼拝の中で、イエス様がするのであり、自分でしようとする必要はないという言葉が残りました。福音を伝えていく時は、まず祈るようになりました。ただ、日常生活の出来事、ハプニングがあると、どうにかしないとが先立ちになってしまうので、そういう時でもまず主を信頼し、祈ることをしていきます。

(ダビデ)自分自身の中で「ハプニング」はチャンスと捉えるようにしている。何か起これば信仰が試されるし、それで訓練もされる。

(レべカ)たまたま読んだ物に人に見えているのは4%で残りは見えていないとあって、メッセージで聞いた通りで4%に支配される必要はないと思った。

(ダビデ)今日のメッセージでは全てが神様の許しの中で起きていて「完全でありなさい」と言われるので自分を捨てればイエス様のように100%環境を支配できると教えられた。そうありたい。

課題の祈り:
レべカ=キャンプの向けて身も心も準備されていく事。環境を見ないで信仰が強くされる様に。(ピリピ2:13-14)
ダビデ=職場で聖書を一緒に読む仲間が与えられる様に。(使徒2:46-47)

レべカさんが希望している洗礼式に向けてサイトの洗礼セミナーのメッセージを視聴したとの事。聖霊セミナーも併せて受ける事を話しました。

終わりのお祈り:レべカ

6月15日の聖日礼拝のシェア「兄妹の家」浜松⇄ロサンゼルス

6月15日の聖日礼拝のシェアを送ります。

ラザロ、マルタ、マリア

15日、ロス時間夜11時より~

ラザロが祈り始めました。

ラザロ:
今日のところでは印象的だったのは、自分の事ばかり考えている人は、現実の事ばかり、周りの人とばかり比べて、自分より上の人が現れるとその人の真似をする。結局自分が無くなって、悩んだりする。神様に向かって自分を持つことが大事だということを聞いて、本当にそういう意識を持たないと駄目だと改めた。

マリア:
実を結ぶには、自分に死ぬ必要がある。古い生き方、今までの生き方をしていたら、神様、イエス様に近い生き方によって実を結ぶことができる。自分に死ぬ、改めて時間が掛かることで、神様が変えて下さると信じる。

マルタ:
ペテロは死にまで従いますと告白するほど、イエス様を愛していた。自分に死ぬことは、イエス様を愛していたら、死にますと意識することではなく、気が付いたら喜んで死んでいる状態になっている自分に気付くこと。自分が最初に教会に来た時、イエス様に出会ったときの喜びと愛が今の自分に保たれているか、考えた。見える環境に流されて生きていること。祈りが足りないと改めた。

聖書朗読:エペソ5章

最後に各自お祈りして終わりました。

6月10日 支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&横浜)

オンランシェアの報告です。
東京: ハンナ バンクーバー レべカ
6月10日 月曜 東京22時 バンクーバー 6時

始めの祈り:ハンナ

ハンナ:
日曜礼拝のメッセージから、ペテロとイエス様の歩みを学ぶ中で、聞いたみことばを実践し実を結ぶには、イエス様との交わりが欠かせないことがわかった。実際にイエス様と交わりを持つことで、みことばの意味がわかり心の中に入る。私もペテロのように、日々の生活の中で、イエス様の臨在を認めて、イエス様と交わりを持ちながら生活し、変えられていきたい。

レべカ:
日曜礼拝のメッセージから、ペテロが三回イエス様を知らないと言った時、ルカ21:61 主は振り向いてペテロを見つめられた。の主の目は、どんな目なのか考えてます。怒るではない、イエス様の目。日々の中でイエス様の目を見い出していきたい。ペテロは変えられたと学びました。自分の力で変わろうとしても、出来ることでないので、日々訓練されていきたいです。

終わりの祈り:レべカ

ロス、名古屋、メンフィス:メンズシェアグループの報告

日本 5/20 午前6:30
ロス 5/19 午後2:30
メンフィス 午後4:30(35分間)

参加者:ダビデ、ヨセフ、モーセ(司会、報告)
始めのお祈り:モーセ

(モーセ)
信じる者となった事自体も信仰で受け取り常に信じ続ける必要があると思わされた。信じることが難しいと思ってしまっている時、自分自身で疑いの壁を作っている事が分かった。疑いは自分でも気付かないうちにしてしまっていることが思い出されるので、疑い、否定的な思いを自分の中に見張っていく。これから生活に変化が出てくる中で特に不信仰に落ち込まない様にする。

(ダビデ)
礼拝メッセージから、信じているか否かが霊の世界では明らかに違う、と言うところが改めて考えさせられた。神様の目からは丸見え。アブラハムが信じた時から神様の見方が変わったところから、自分自身はどう見えているのか?微妙なところにいるのが反省。「訓練」についても教えられているが、自分で「苦しい」と思っている事が「訓練」だと。嫌だと思っていたことの考え方を改めて変えていくことが必要と色々なことを通して学んでいる。特に人からの指摘などに対して嫌悪するのでなく、受け取り方を考える様にしている。自分の中の悪さを気付かされているので、一つ一つ改める。

(ヨセフ)
信じる者とされたことを受けとりました。頭で自分が信じているかを考えるとわからなくなってしまう。信仰が試されるような時に出会うことがなく、ボーっと生きてしまっていることがわかりました。ダビデとゴリアテが告白し合ってダビデが勝ったところから、神様への信仰の告白をしてやるべきことを行う事が大切と改めて学びました。僕は、頭で考えて人の顔色をうかがって友達に伝道しようとしていたので、自分の考えと信仰との告白の違いを知って、理解して直していきます。アルバイトを「お金の為に」と始めたことだが、これも訓練の一つと受け取ろうとシェアの中で思った。

個人的な課題など
(モーセ)
アパートを決めに行くので、良い場所が見つかると言う信仰を持って行く。
(ダビデ)
職場は学生が多く夏休みに入るので予定の調整が課題になってくるが、必要は備えられていると言う信仰で。実際人が抜けた所に丁度入ってくるなど起きているので感謝。教会のプールの水が管理されなくなってしまっていたが、学生の頃の経験が今役に立っている。
(ヨセフ)
キャンプ費用の為のアルバイトに励んでいる。その他、それぞれのキャンプの予定、準備などを話しました。

終わりのお祈り:ダビデ

モーセ:メンフィス

オンラインシェアの報告5月22日(福岡&横浜)

参加者:マリア、ダニエル

時間:22:00~22:35

ダニエルが祈ってから始めた。

最初、少しキャンプのこと(奇跡が起きるところですと話をして)、また純さんのピアノコンサートの話を5分くらい話してから、シェアを始めました。

マリア:

今週のメッセージから、弟子トーマスが、信じない者から、信じるものに変わった事、私も、そのように変わったこともわかりました。実際の目で証拠は、信じるためには必要ない、とわかった。
私は、もっとイエス様と一緒に歩くことが、前より少しができて、感謝します。例えば、一年半前と比べたら、まだ離れた生活してる時がありましたが、今生活の中で、もっと信頼できることになって、感謝します。

ダニエル:

最近心に響いてる言葉は、「自分をすいせんしない事。イエス様だけに誇る事」、2コリント10:17の言葉です。前は、そこまで、『見て、見て!』という態度、そんなにしてないと正直思ってたが、今よく考えてると、心の中でそれをやってる、とわかります。それは、ちょっとした相手からの反応が欲しい、という心だとわかった。これは、家族の中、また学校授、業をやってる時も起きる。大事のは、反応がなくて、大丈夫、イエス様がわかる、だから、とにかく続けてやって行く事。

最後、『イエス様と毎日共に歩む』とは、二人ともにとってはどういう意味か、数分話した。

マリアが最後に祈りしました。

ダニエル:横浜支部

5月11日 支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&メンフィス)

オンラインシェア:
メンフィス ダビデ バンクーバー レべカ

5/11 土曜日、メンフィス午後10時 バンクーバー午後8時

始めのお祈り:レべカ

ダビデ:
最近のメッセージで汚れは今でも一つづつ清められる事と学んでいるが、今日の礼拝では私を変えられるのはやはりイエス様だと再認識した。みことばであるイエス様が私の中に入ってくるので魂が変えられることができると、それを信じることをやっていこう。表現することがいると聴いて、みことばカードなど作ったりしているが、もっと他の事でも外に出していく。

レべカ:
いくら頑張っても聖められないと落胆して、悲劇のヒロインすることあります。今日の礼拝で、イエス様が生かす御霊となったというパスターの教えを心に入れます。イエス様の死と復活により、ともに死んで生かされた者であること、イエス様はすでに勝利者であること、私はそのイエス様に生かされています。

祈り:
レべカ:
旦那の体調が安定するよう、イエス様の愛が注がれて、私自身におおらかに愛情を与える人になれるよう祈りました。

ダビデ:
教会のM7が愛を持ってお互いを知り、それぞれが教会での活動での同じ目標を目指す志しが与えられる様に。チームとして強められて教会の成長に用いられる様に。

終わりの祈り: ダビデ

オンラインシェア報告 5/12日(ロサンゼルス&甲府)

日本時間
5/12日(日)23:00-23:30

アビゲイルさんが祈って始めました。

アビゲイル:
ドリルでの弟子達の霊的に死ぬタイミングと復活のタイミングについて問われた箇所で、墓から出たタイミングではまだ信じていたわけではないので、ユダヤ人を恐れていたが、聖霊様の息が吹き込まれて、そして信じて初めて復活したということを学んだ。自分に適応すると、一回だけ復活するのではなく、毎日それをしていくんだということに気付かされた。

マリア:
弟子たちが部屋にこもって罪責感でいっぱいだった時、きっと弟子として失格だと思っていたと思うけれどイエス様が現れ、あなた方を遣わしますと言葉を下さった。
すごく嬉しかったと思う。イエス様は、弟子たちの弱さを知り、それを受けとめ、許し、そして生まれ変わった弟子たちは神の器として生きれることを先に信じてくれていた。私は嫌なことがあるとすぐ捨ててしまうけど、それは自分のことしか考えていないからで、イエス様を習って、自分を捨て、相手を生かすために自分はどうするべきかを考えられる人に変えられていきたい。

最後、マリアが祈りました。

5月4日 聖日礼拝のシェア「兄妹の家」浜松⇄ロサンゼルス

5/4日の聖日礼拝のシェアを送ります。

ラザロ、マルタ、マリア

4日、ロス時間夜10時より~

ラザロが祈り始めました。

ラザロ:
今日も自分のことだけ考えることが肉だよということで、先週の続きで、自分のことを推薦する人は神様に用いられることがない。自分、自分の人はダメ。まったくダメなのかわからないけど、やっぱり今日、自分が肉の考えに通じている。どうしても家族とか、親戚ぐらいになって、それ以上はなかなか難しい。考え方変える必要がある。

マリア:
肉のことを言っていて、聞いていて自分は変えられていくんだけど、自分を捨てることを要求されていて、自分がやれることを毎日やっていく。自分を捨てることがまだ出来てない。感謝して生きることをしていきたい。

マルタ:
人間は造られた目的を知って行う時に、本当の喜びがある。ということばが心に残った。人それぞれ役目は違うけど、神様、他の人のために何かをすること。それを求められた者として、謙遜に生きることが、結局は自分の生きがい、幸せ、他の人の幸せにもつながる。

シェアの後、エペソ1章の聖書通読と箇所のシェア、その後各自が祈り終わりました。

支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&ロサンゼルス)

4/23 月曜日 ロス・バンクーバー 午前7時 
レべカ、マルタ

レべカ:
イエス様の死と復活が自分の身におきたこと、イエス様の弟子たちの過越しの食事は弟子たちの罪を背負うこと、一つになること、アダムが深い眠りに入り、エバが与えられたことも死と復活、結婚であったこと、繋がりを知ると聖書は深くておもしろい。次女になぜ旦那は病気で苦しまないといけないのかと聞かれ、旦那も次女もサタンという表現が抵抗もあり、イエス様の祝福をわかるように伝えられてない。

マルタ:
家族の場合、私の信仰、真理子さんの場合は真理子さんの信仰が何より大切で、その信仰を神様は使うと何度も教えられてます。

マルタ:
ルカ22:15のみことばで、イエス様がこの時をずっと望まれていたということばが心に残った。この時とは、ご自分が弟子たちの罪の為にご自分の体と血を、自ら望まれて給仕する時。この地上で生まれてからずっと、この時に向かって、目的の為に生きて来たと考えると感謝しかない。イエス様の死によって、弟子たちが生まれ変わり、教会が建てられた。私の父の昇天後に、家族のメンバーが救われ、教会に通っている。
人間の死も同じで、特にクリスチャンはその人の生き様が現れ、最後の役目を達成する大事な時。その死によって周りが救われていく。私も残された時間、その時に向かって生きて行きたいです。

夏のキャンプの話しもしました。

終わりの祈り レべカ、マルタ