支部の活動

支部のシェア報告(福岡&名古屋支部礼拝所)

1月6日(月)20:00〜

聖日礼拝からのシェア

(ルツ)
哀れみについてが一番心に残った。神によって造られたものには哀れみの心がある。動物にもある。哀れみの心をカインとアベルの話で羊を買うアベルと土を耕すカインのことを円ちゃんから説明してもらい理解した。一番可愛がっていた羊を自分の罪のために殺すということがどれほどアベルにとって哀れみの心があったか。殺すときの気持ちはすごい悲しい。カインは適当に野菜でいいだろうという、それぞれの心を神様が見ていた。と聞いて、私の家は百姓なのになあと思っていたが、みことばの理解が深まった。愛することとは、神様を愛することと隣人を愛すること、どっちも切り離してはできないことが私の心の中では理解が深まった。隣人を愛せないと言うことはイエスキリストとを愛せないと言うこと。イエスキリストを愛することは隣人を愛すること。すべて人間の罪の原因は哀れみの心に蓋をしたこと。皆良心を持っているけど、それに蓋をしている。普通倒れた人がいて、何も思わないで横を通り過ぎるなんでできないこと。本当は心配なはずだけど見て見ないふりをしている。みんなが蓋が取れたら素晴らしい世界になる。

(マリア)
神は光であって、神のうちには暗いところがひとつもない。神様は人間を神の形として造られ、神様が光だから人間も光で暗いところが一つもないはずなのに今の人間たちの様子は全然違うと思った。キャンプでもこのメッセージからも人間の暗さについて教えられた。以前よりも人間の暗さがわかってきた。人間が悪いのにイエス様は哀れみを持ってご自分の命を捨てて人間の罪のために死んでくださった。イエス様を知ったのに暗さがあるのはおかしいことだと前よりわかってきた。光の子であるためにもっと謙遜になって神様のことばを聞かないといけない。

支部オンラインシェア(ミシガン&バンクーバー)

ミシガン:ダビデ
バンクーバー:ラハブ

始めの祈り:ダビデ

ダビデ:キャンプからのシェア。環境を見ないこと、祈ったことは実現することを信じ続ける。イエス様の御名についてさらに深く学ぶことができた。イエス様の名を使える特権が与えられているが、自分自身の清さ、動機を正しく持つこと。自分の為ではなく、人を愛する為に使い、常に神様に心を置くことで神様が実現して下さることを再確認できた。イエス様の名に対する自分の中での位置付けが明確になった。ロスに直接赴くことは、体験と解放がある。帰ってからもその解放に対する信仰を保ち続けたい。教会の子どもたちが夏と比べ成長していた。

ラハブ:祈祷会でお話された、マタイ25章の花婿を迎える十人の娘の話は、ともしびの油を分けてあげないのは、愛がないのではないか、優しくないのではないかといままで読んでいました。が、油というのは、自分自身の神様に対する信仰であり、それは他の人には分けられないというのが腑に落ちました。

祈り:
ラハブ:旦那、義理の父、おば、あと年始年末に挨拶を交わした自分と親しい友人らが健康を患っているので、皆の健康を祈りたい。イエス様の信仰に導かれるよう、イエス・キリストの打ち傷によって癒やされた、このみことばが成就するよう、わたしが神様の栄光が現れるよう求め祈れるよう。
ダビデ:同僚の娘さんが、腫瘍摘出の手術をされた。健康の祈り、神様の栄光が現れるよう、また、二人はクリスチャンであるが、教会に通っていないので、これを通して教会に導かれるよう。

終わりの祈り:ラハブ

支部のシェア報告(福岡&横浜支部礼拝所)

シェアの報告を送ります。

・1/5(日) 14:30〜15:00

・聖日礼拝からのシェア

<ハンナ>
良きサマリヤ人の例え話から、半殺しになって倒れていた人がイエス様、というのがとてもわかりやすかった。クリスチャンホームで育ったが、子供の頃はイエス様の十字架のことがよくわからず、手に釘を打たれてどのくらい痛かったんだろう、、くらいしか想像できなかった。その後、メッセージを聞く中で、また色んな経験をする中で、イエス様の苦しみが前よりもわかってきた。それなのに、哀れみの心を閉ざして、自分の罪のためにイエス様が死んでくださったのが当たり前のような態度になっていることが、哀れみの心に蓋をすることだとわかった。蓋をしている間は、自分のためにしか生きられない。その蓋を外せば、自然とイエス様が自分にやって欲しいのか?考えることができるようになる。自分の損得しか考えずに生きる古い自分を捨てる。

<エステル>
良きサマリヤ人の話を聞いて、イエス様の死を通して自分の罪が贖われたことを、初めて知った時は心にガツンときて、そのあと十字架の意味が少しづつわかってきて、自分のために死んでくださった方のために生きるように、変えられてきた。このように、イエス様の十字架のことを知って救われる人がもっと出てくることを願って、イエス様のことを伝えていきたい。パリサイ人やレビ人のように哀れみの心を閉ざさないように、自分の生活の中で仕事で忙しくしている時にこそ、イエス様のことが一番大切であることを忘れずに過ごしていきたい。

その後、キャンプで教えてもらった真理(環境を見ない)について、またその実践についてシェアをして、最後に円ちゃんが祈って終わりました。