支部の活動

支部シェア報告(福岡 x 横浜支部)

・日時:11/3(日)15:00〜15:30
・メンバー:ルデヤ、ラケル
・内容:聖日礼拝の感想

はじめに、私が祈って始めました。

ラケル
信仰の戦いを勇敢に戦う、の箇所が印象に残った。これまでサタンとの戦いは、どんな攻撃を仕掛けてくるかわからないから、絶対に勝てる自信がなかったけれど、勝つかどうかはサタンではなく、私自身が信仰(みことば)の上に立つかどうか、つまり私の方でコントロールできることだとわかった。もちろん、信仰を持つには訓練が必要だけれど、自分の意志でやっていく。

ルデヤ
信仰が勝利の証であることを学んだ。エペソ5:8「以前は暗闇でしたが〜光の子どもらしく歩みなさい」という箇所が、「信仰によって生きる歩み」の事を指してるとわかった。逆に環境を見て生きるのは闇。その区別がよくわかった。信仰によって、現実とされていく。1ヨハネ5:4「信仰が勝利」今週は、このみことばを毎日告白しながら、過ごそうと思った。

その後、お互いの支部の様子、最近横浜支部に集われている鈴木恵さんのこと、キャンプに向けた準備のことなど話して、最後にルデヤがお祈りして終わりました。

支部のシェア報告(福岡支部&名古屋支部)

10月29日(火)
19:45〜

聖日礼拝からのシェア

(エリザベス)
人の栄誉を求めると争い(競争)が始まる。栄光は神様だけのものなのに、人間同士で与え合い求め合い奪い合う。そこから妬みや恨みが生まれ相手の命さえ消してしまう。不正の富のシステムもこの世の仕組みは全て的外れな生き方だと学びました。『わたしは人からの栄誉は受けません』イエス様は一貫してブレることのない唯一の見習うべき人間です。天の父は『私の子が歩んだように歩きなさい』とおっしゃっている。自分を捨て 自分の十字架を負い そしてイエス様について行きます!

(マリヤ)
「ののしられても、ののしり返さず・・」のことばの中にご自分を無にして十字架を負ったイエス様の生き方をみて、イエス様すごいなと思った。父への信頼、忠実さ。自分はまだ自分で自分を正しくしようとして自分の命を救おうとする考え、行動が出てくる。先週も信仰を無くして頭で計算してもがいている自分に気づかされた。イエス様から神様の喜ばれる生き方を学んだ。安らぎが一つきた。イエス様にもっと近づいていきたい。

2024-10-27 オンラインシェア 山梨x香港支部

<ルツ・山梨支部>
イエス様を模範として生きる為に、私はもっと深くイエス様、イエス様の生き方を理解しなければならないと思いました。謙遜であり、へりくだって生きたいと思っても世の集団の中に入ると逆行動となる事が多々あります。御心に沿って生きたいと思っていても、気がつかないうちに神様に沿っていない事も多いと思います。一日の反省を行って行き、少しずつ正して行きたい。本日のメッセージの内容、イエス様について等学んだ事を周りの方達に伝えて行きます。

<リベカ・香港支部>
良かれと思ってやったことが、逆に相手の迷惑となった。それに関して言われた時に、”やってあげたのに”という気持ちで、いらだちがあった。でもよく考えれば、自分のためにやっていた。このことで、相手に腹を立てることは、サタンの罠だと気付いた。
これを神様に謝り、この悔い改めを、神様が聞き入れ、やってしまったことも結果として良いものとしてくださるように祈って、信じた。今日の賛美は、それを励ましてくれるもので、歌っていて涙が出た。とりなしをしてくれているイエス様に感謝しました。外見的なつくろい=渡世術によって得るこの世の栄誉を求めないようにしていきます。

10/20 支部間でのメンズシェア(ロサンゼルス&名古屋&バトルクリーク)

聖日礼拝のシェアから〜

(ダビデ)
魂のケア、伝道活動などにはみことばを伝えることが重要と聞いて考えさせられた。自身でも人に何かやっても、みことばや聖書のことを言っていないことが良くある。聖書が何と言っているかを伝えないと神様の方を向けない、と言うところに「その通りだ」と思わされた。聖書のことを話そうとして固くなることがあるので、自然と受け入れ易いようになりたい。訓練が必要。

(サムエル)
不正の管理人の話で、自分を捨てること、世の中のこと、世の人が求めることを求めてはイエス様に近付く事できない。前から自分を捨てろと言われている。お金を求めるなとも言われて、別々のことを言われてると思っていたが、全部自分を捨てることに繋がっている事が、やっぱりそう言う事だと学んだ。

(モーセ)
不正の管理人の話は何回も聞いて分かったつもりでいたが、今回違ったことを教わった。自分宝をどこに積むかの話と重ねると、「負債」は宝で、自分の為に私服を肥やすのでなく、人を助けることで天に宝を積む事とつながっている。今までなんとなく引っ掛かっていたのがまた一つ理解ができたこと嬉しかった。実際にそれをやって行くことを新たに示された。