「彼の栄光のための訓練」B
聖書箇所: マタイ 13章、ヨハネ 15章など
なぜなら、肉の父親は、短い期間、自分が良いと思うま まに私たちを懲らしめるのですが、霊の父は、私たちの 益のため、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして、懲らしめるのです(ヘブル 12:10)。
この「ご自分の聖さにあずからせようとして」という部分 に注目すると良いです。すべての霊の父がその子たちに持って欲しいと願われるのは、この聖さです。訓練はそのためのものです。聖くないと、父の栄光を現すことはできません。
すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、 これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます(11 節)。
ここで言う「平安な義の実」が父の栄光になります。父の意識では、この世界はこの実を結ぶためのぶどう園です。しかし、最初の世界は、罪のせいでこの実を結ばないようになってしまいました。そこで、イスラエルの国を起こし、彼らに律法を与えて、何が義であることを教えて、再びぶどうの木を植えましたが、彼らはその義を行うことができず、その木は切り倒されました。そこで、ついに三度目は、ご自分のひとり子を遣わされ、切り倒されたぶどうの木の根っこから 若枝を生えさせ、実を結ばせるようにされました。
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫 です。わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれ を取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶ ために、刈り込みをなさいます(ヨハネ 15:1-2)。