上級聖書研究(弟子たちのための)

浅井導牧師

4/7/2024 「彼の栄光のため」No. 31

「彼の栄光を反映するために」G
聖書箇所: マタイ 5章、ローマ 8章など

あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい(14-16 節)。

この「隠れる事ができません」ということばに注目して下さい。光を隠そうと思っても、それが自然と照らして隠すことができないということです。この場合は、光るのがエルサレムのような町に例えて言っています。また、光を灯火に例 えるならば、それを枡のような何かの器具の下に置いたら、 光が家全体を照らさないから、家の主人は必ず、高い燭台の上に置きます。光るのは灯火ですが、それを燭台の上に置い て家全体を照らすようにするのは、家の主人です。このことに注目して下さい。灯火は、自分で自分を輝かせようとするものではなくて、その持ち主が周りを照らすように用いるものです。言い換えれば、私たち器が世界の光として輝くのは、主の御霊の働きであって、私たちの肉によるものではないということです。次のみことばもこの真理について述べています。

主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられ て、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです(2 コリント 3:17-18)。

最後の「これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」 ということばが、この働きが私たちの肉によるものではないことを示しています。肉とは、私たちの頭やたましいによる計算、故意的な意図や動機のことです。「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て」という部分だけを読むと、あたかも、私たちが意図的にそれをするべきであるように聞こえますが、その次の 「天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」ということばが、その動機が自分のためや、自分が周りの人々の注目を浴びるためのものであるなら、その光が 輝くことはないことを示しています。クリスチャンがよく陥るこの間違いに関しては、以下のみことばも述べています。

誇る者は、主を誇りなさい。自分で自分を推薦する人でなく、主に推薦される人こそ、受け入れられる人です (10:17-18)。

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