「隠された神の栄光を見るために」E
聖書箇所: ヘブル 4:12-13、2 コリント 3-4章など
「光が、やみの中から輝き出よ」と言われた神は、私 たちの心を照らし、キリストの御顔にある神の栄光を 知る知識(= 神の栄光の知識の光)を輝かせてくださったのです(2 コリント 4:6)。
このみことばは、パウロが以下の詩篇のことばを背景にして述べたものであることを、前回指摘しました。
あなたのみことばが入ると、光が差し込み、 わきまえのない者に悟りを与えます(詩篇 119:130、一部私訳)。
この最初の行の「あなたのみことばが入ると、光が差し 込み(輝く)」という部分は、パウロが「神は、私たちの心を照らし … 輝かせてくださったのです」という表現に対応しています。神のことばが入ることは「私たちの心」の中で起きることで、それが「光」として輝きま す。ここで言う「心」は、ギリシャ語の kardiaで、外側 に見る体に対して、さまざまな思いや隠された考えなどが入っている、人の内なる場所、また器としてのニュアンスを持ちます。例えば、信者の集まりにおける預言の目的について、パウロは次のように教えています。
しかし、もしみなが預言をするなら、信者でない者や 初心の者が入って来たとき、その人はみなの者によっ て罪を示されます。みなにさばかれ、心の秘密 (kardia)があらわにされます。そうして、神が確か にあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神 を拝むでしょう(1 コリント 14:24-25)。
神のことばが心に入ると、その中にあるさまざまな考え が識別され、その良し悪しが示されるので、ヘブル人への手紙の作者はこう述べています。