「隠された神の栄光を見るために」D
聖書箇所: ヨハネ 1:1-18、2 コリント 4:3-6 など
初めに、ことばがあった。 ことばは神とともにあった。 ことばは神であった(ヨハネ 1:1)。
どんな言語におけるどのことばにも、その意味がありま す。意味のない、あるいは意味の分からないことばは無 意味であり、口に出されたとしても、それは単なる音、 また書かれたとしても、それは単なる文字の組み合わせにしか過ぎません。ことばの持つ意味が、目に見えない、かたちのない本質であり、それが霊的なものであることが分かります。発せられたことばの音や書かれた文字は、霊的なことばの意味が、音として、また目に見える文字として現されたものです。そのようなすべてのこ とばの元であり、起源となるのが、上のみことばでいう 「ことば」、つまりキリストのことです。
この方は、初めに神とともにおられた。 すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずに できたものは一つもない(2-3 節)。
すべてのものが意味を持って造られました。つまり、存 在するもののすべてに、それらを創造された神様による意図と、その存在目的があります。その神様の意図と目的の核に当たるのが、すべての被造物を通して現される 神様の神性、つまりその栄光です。この栄光は、彼自身 から流れ出てくる霊的な光としての本質であり、いのちです。
この方にいのちがあった。 このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。 やみはこれに打ち勝たなかった(4-5 節)。