「隠された神の栄光を見るために」B
聖書箇所: ローマ 1:18-25、ヨハネ 6:25-51
そこで、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死に ません。あなたがたがそれを食べるその時、あなたがたの目が開け、あなたがたが神のようになり、善悪を 知るようになることを神は知っているのです(創世 3:4-5)。」
神の栄光は霊的なものであるため、人間の目には見えません。これは特に、罪のために霊的盲目に陥った私たちに当てはまります。私たちの霊の目は、物質の現実に焦点を合わせた肉の目が開かれて以来、閉じられてきました。
そこで女が見ると、その木は、まことに食べるのに良 く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも 好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた(6 節)。
私たちはみな、この同じ蛇に誘惑され、これと同じ木、つまり、得になるか損になるかを知る木から取って食べました。
このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、 いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った(7 節)。
この目が開かれるということは、もう一つの種類の目が閉じられることを意味します。彼らが自分たちの裸であることに気付いたということは、彼らが神のかたちと神に似せて造られたという霊的現実を見る目が閉じてしまったことを意味します。この状態に陥ると、人は必然的に、神の臨在に対して次のように反応します。