聖書箇所: ヨハネ 19:1-18、イザヤ 60:1-3 など
この山の上で、飲み込む。
おおいの表面、万民の上をおおっているものを、
織りもの、万国の上を織りかぶさっているものを、
死を永久に(勝利に)飲み込む。
神である主はすべての顔から涙をぬぐい、
ご自分の民へのそしりを全地の上から除かれる。
主が語られたのだ(イザヤ 25:7-8、私訳)。
「この山」とは、文脈で、シオンの山のことです。「おおい(新改訳、顔おおい)」、また「織りもの(新改訳、おおい)」と訳されていることばは、それぞれ、lot と massekhah で、二つとも、からだや物を包む布のことを言 っています。lot は、死の喪に服す時に被せる布で、それが 全地を包み、massekhah は、死の霊が注がれて、それが織 りもののように世界の上にかぶさっている状態をほのめか しています。主語は「主(ヤーベ)」で、主がそれらの布 を飲み込んでしまわれるということです。この「飲み込む (billa’)」は、破壊する意味です。これら二つの布が、イエス様が葬られた際、その死体を包んだ布と、顔の上に被せた布と繋がっています。その布は、全人類の死を象徴するもので、彼がそれを受けることによって、死が滅ぼされたことになります。
さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけて あるのを見た。それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、 言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません(ヨハネ 20:1-2)。」
マグダラのマリヤが一番気にかけていたのは、イエス様のからだのことでした。彼女の意識の中では、イエス様が死なれたことがまだしっかりと把握されておらず、そのからだのある所に彼がまだおられるという意識でした。そのか らだがなくなり、その場所がわからないということが、彼女にとって一番の問題でした。他の女たちが戸惑っている間に、彼女はとっさにペテロとヨハネのいる所に走って行き、彼らだけにそれを伝えました。