上級聖書研究(弟子たちのための)

浅井導牧師

1/21/2024 「彼の栄光のため」No. 22

「隠された神の栄光を見るために」C
聖書箇所: ヨハネ 14:5-14、詩篇 119:130 など

イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、 だれひとり父のみもとに来ることはありません。あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです(ヨハネ 14:6-7)。」

ここでイエス様が、ご自分の「道」としての役割について、以下のような三つの動詞を使って説明されました。

1. 弟子たちが御父に「来る」
2. 弟子たちが御父を「知る」
3. 彼らは御父を「見る」

まず、イエス様のもとに来る人は父のもとに来る人です。この目的のために、父は私たちを引き寄せ、私たちがイエス様のもとに来るようにされます。でも、御父に
関する知識のないこの世界では、人は御父のもとに行きたいという願いさえ持たないので、イエス様がこの地に来られ、私たちに御父のことを紹介して下さいました。第二に、イエス様を知ることは父を知ることです。父は霊です。霊的に死んだ私たちがそのままの状態で、交わりを持って父を知ることは不可能です。ですから、イエス様が人となられ、そのことばと行いを通して父なる神について私たちに教えて下さいました。私たちは今、イエス様を知って御父をも知りようになりました。第三に、神様を見てなお生きていることのできない人間たちのために、イエス様は神の栄光をご自分の中に隠す形で地上に来られ、生活されました。ですから、人は、神を直接見ることはできなくても、イエス様を見ることはできました。私たちは今、イエス様を見ることによって父をも見ています。

上級聖書研究 説教サマリーの一部を抜粋して掲載しています。 メッセージ要約全文、音声ファイルはストアからご購入できます。