10月2週 支部オンラインシェアの報告

皆さん ハレルヤ!
バンクーバー、メンフィス、山梨、甲府、香港のシェア報告です。

(ハンナ):土曜礼拝からのシェアです。イエス様と一緒にいた時の弟子は、自分の為に生き、イエス様の十字架の命により罪を贖われたことを知ってからは、人の為に生きるように変わったように、わたしも変わりたい。

(ダビデ):先週参加した礼拝からですが、古い生き方をしている自分が、未だに見えることがあるので、十字架の意味を、自分の心でしっかり信じることが大切と示された。先週のシェアの時から、ずっと考えていたが、自分の生ぬるさを消して、心でのとらえ方を確固たるものにしていきます。

(ルツ):自分にとって、神様がともに居てくださることは、当たり前のことなのに、それを人に話そうとすると、構えてしまったり、教えるような言い方をしていた。(世の会話と同じようにという意味ではなく)神様の事を日常会話にしていく。
イエス様のお墓に行った女性たちのように、自分たちが見たこと、受けたことを単純に知らせればよいと示され、納得できた。

(ナオミ):古い生き方、新しい生き方ということを聞いて、私も、心から人のため、神様のために生きる者と」なりたい。
私は、人に語る時、緊張してしまったりして、苦手感があるが、起こった事を淡々と語ればよいことが分かった。

(マリヤ):(自分の)子どもには教え、(未信者の)人には伝える、と言われたことが、一番心に残った。Hさんと通読をしているが、その際に質問を受ける。それに対して、伝えるのか教えるのか、よく考えて行っていく。
弟子たちも十字架の前には、理解できなかった事を読んで、私の周りにいる人たちも分からないのは当然、その反応を気にすることなく、自分にしっかりと根付いているみことばを、自分の言葉で伝えていこうと思った。来週、Hさんが礼拝に参加するので、このシェアにも参加してもらいます。

(アビゲイル):私たちも王なる祭司であるべきことは、ずっと学んでいるが、前回の上級聖書研究で、預言者でもあるべきと聞いて、”預言者は、特別な人しかなれない”と思っていた。そのことをこの一週間考えていたら、二列7:9が思い起こされ、4人のらい病人たちが、食べ物、宝を自分たちだけのものとせず、それを町に戻って伝えたことで、エリシャが語ったみことばの成就の助けになったと思った。同じように、私も、自分の受けた祝福を伝えることで、みこころの成就の手伝いができると、今日の礼拝の内容とも結びついて合点がいった。

祈り:彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」(2列7:9)
このみことばを読んで、各人が受けた祝福を感謝する祈りをささげました。

(香港礼拝所:有志婦人)