2025年3月15日

オンラインシェア(ロサンゼルス&福岡支部礼拝所)

3月9日:日曜礼拝のオンラインシェア

日本時間:3月11日 正午
ロス時間:3月9日 20時

ハンナのお祈りで始まりました。

<ハンナ>
昨日の礼拝でメッセージが始まってすぐに、パスターがどうして私たちは礼拝するのか?と尋ねられ、その答えは神様が礼拝を通して私たちを祝福するためであった。ただ礼拝の時間だからと言って体を運んでいるだけでなく、神様から受けることば、祝福、改めて感謝をすると同時にもっと感謝をする必要がある、と思わされました。1列王機13章の神の人が食事の後自らロバに鞍を置くところで、イエスさまご自身が自ら望んで、私のために十字架にかかってくださった、という思いが強くなっています。感謝が足りない自分を見つける。また、同僚で自分はクリスチャンだと言って週の礼拝を守っていない人に、礼拝に行くだけじゃん、と思ってしまったが、自分が礼拝に毎週出席できることがどんなにありがたいことかを改めて思わされた。礼拝を通して、色々なことに面しているだろうと思われる状況でも、平安があること。これはイエスさま、神のことばを通して出なければ、普通ではないこと、改めて感謝します。

<エリサベツ>
神様の愛はとこしえまで…とこしえとは時間の事だけではなく、普遍的な意味である事を知りました。人間たちは自分勝手でわがまま放題であっても、神様の愛はいつまでも変わる事がない…それはイエス様にとって死の食事だが、私たちにとっては祝福の食事であるように。私たち人間は自分の益になる事ばかりを考え生きている。何もかもを合理的にしようとする、その結果いけにえが軽くなり形式的で、神様に対して悔いた心も無く、哀れみの心も無い。この世は真っ暗で神様の世界は全く見えていない。それでも神様は私たちの渇きや良心の咎めを見逃さず、真の礼拝者を求めている。心を尽くして信じてついて行きます。