2024年4月

支部オンラインシェアの報告(バンクーバー&ロサンゼルス)

4/23 月曜日 ロス・バンクーバー 午前7時 
レべカ、マルタ

レべカ:
イエス様の死と復活が自分の身におきたこと、イエス様の弟子たちの過越しの食事は弟子たちの罪を背負うこと、一つになること、アダムが深い眠りに入り、エバが与えられたことも死と復活、結婚であったこと、繋がりを知ると聖書は深くておもしろい。次女になぜ旦那は病気で苦しまないといけないのかと聞かれ、旦那も次女もサタンという表現が抵抗もあり、イエス様の祝福をわかるように伝えられてない。

マルタ:
家族の場合、私の信仰、真理子さんの場合は真理子さんの信仰が何より大切で、その信仰を神様は使うと何度も教えられてます。

マルタ:
ルカ22:15のみことばで、イエス様がこの時をずっと望まれていたということばが心に残った。この時とは、ご自分が弟子たちの罪の為にご自分の体と血を、自ら望まれて給仕する時。この地上で生まれてからずっと、この時に向かって、目的の為に生きて来たと考えると感謝しかない。イエス様の死によって、弟子たちが生まれ変わり、教会が建てられた。私の父の昇天後に、家族のメンバーが救われ、教会に通っている。
人間の死も同じで、特にクリスチャンはその人の生き様が現れ、最後の役目を達成する大事な時。その死によって周りが救われていく。私も残された時間、その時に向かって生きて行きたいです。

夏のキャンプの話しもしました。

終わりの祈り レべカ、マルタ

オンラインシェアの報告4月7日(甲府⇄横浜)

昨日のオンラインシェア報告送ります。
時間:17:40ー18:10
参加者:マリア、ダニエル

最初祈ってから始まりました。

マリア:
今日、聖餐式の日に、Hさんが礼拝に参加しました(かれは昔5年前、日本での純さんのコンサートに来られたが、この数ヶ月、また久しぶりに、月一回程度で礼拝に参加しています)。彼らに、聖餐式の意味を、説明ができました。それが良かった。また、今日のメッセージにかんしては、室エジプトで、羊を14日に殺して、5日間見守ると言うのは、アブラハムがイザクを捧げたと似てる、イエス様に繋がってる、神様がこう言う事を民に教えたかった、とわかった。

多くの人(クリスチャンでも)がただ自分を見せてるな、と思う。また、復活前の12弟子達もそうだった。イエス様の清さ(子羊のように)がわかってない、その尊いことがまだわかってない、と思った。イエス様がしてくださったこと(犠牲)、感謝します。

ダニエル:
今日のメッセージで、1番心に残ったのは、出エジプトの12:6の「14日までに、その子羊を見守りなさい」、と言うこと。その「見守る」と言う短い言葉に、そんな深い意味があるとは思わなかった。それがイエス様の地上での最後の五日間と繋がってるとも思わなかった。今日のメッセージの最中、最低2-3回くらい、神様から、自分に「もっと静かになりなさい」と言う言葉を心で響いていた。イエス様にもっと見つめることだ、と言うこと。今の状態では足りない。メッセージ中、昔の静かな、イエス様が描かれてる絵を、思い出しました。だから、他の世にある快楽、distractionsに心を留めないことが必要、とわかりました。

ダニエル

ダニエル

4/7 支部シェア報告(山梨⇄横浜)

支部のシェア報告を送ります。

【日時】2024/4/7(日) 15:05~
【メンバー】ナオミ、ルツ
【内容】ドリルNo.1からのシェア、祈り

<ドリルからのシェア>
みことばの観察No.1をシェアしたのち、個人的適用の1)をシェアしました。

ナオミ:信じて受け入れたことばが、日々の生活の中で不安や恐れによって、不信仰になってしまうことがある。気付いた時に、神様に悔い改める。また、礼拝にでて聖書読んでも忘れしまうことがあるので、不信仰を避けるために、何度も復習することが必要。強い信仰心に立てるように祈る、感謝する。(世と調子を合わせたり、環境を見ることから)心身を清めること。聖霊様からのメッセージを受け取れるようにする必要がある。

ルツ:自分の心をよく吟味すること。不信仰(大きな石)に気付けば、転がしてどかすだけだが、まず自分の中に不信仰があることに気づくことが大事だと思った。

<祈り>
ナオミ:いとこの奥様の救い(イザヤ53:3-5)
ルツ:自分を無にして、イエス様の栄光を反射できるように
※日本語で祈って、数分異言で祈りました。

<質問>
・今月からブログ再開したい →投稿内容をメールで送ってもらい、私の方で掲載することになりました。
・その他、諸々礼拝などの報告フォームが不明とのことで、リンクをお伝えしました。

以上になります。

ルツ

4月7日 支部のシェアのご報告(福岡⇄ロス)

参加:マリア、マルタ

時間:
日本時間 4/7 昼12:45
ロス時間 4/6 夜8:45

マルタが祈って始めました。

マリアさんが初めに福岡支部に来て、今年で3年目に入ること。以前アメリカに住んでいたことなど、簡単な自己紹介をされました。

今日の礼拝のシェア:
マリア:
今日も深いことを礼拝から学んだ。ハンナさんにもランチのシェアの時間に話したが、イエス様と一緒に十字架に掛けられた罪人とイエス様との会話から、洗礼、礼拝にも行ってなく、形ということにとらわれず、心で信じること。これが信仰。ぼんやりわかっていたんだけど、この信仰という言葉の意味が深く教わった。難しいことではないこと。自分はイエス様を知って喜び一杯、毎日が嬉しい。私自身で留めておくのがもったいない。他の人にも伝えて行きたい。

マルタ:
イエス様と一緒に死んで復活したこと。今は新しくされた自分になったことを、いつも自分にリマインドしたい。最後の晩餐の時、イエス様が弟子たちの罪を負ったこと。私も聖餐式を受けるとき、毎日の生活で犯した間違いをイエス様が全部負って下さり。代わりに私にいのちと聖めをくださっていることを感謝した。聖餐式の意味がイエス様と1つになることだと、今まで知らなかったことを教えてもらえた。

マリア:
1コリントのみことばで、主と交わり1つになると聞いて、私は神様になったのか?とハンナさんに聞いた。神の子だからそうです。と言われ、自分が神様を現わす者として行動や体を大切にしたいと思った。自分の中にイエス様が住んでいて、聖霊の宮になった。毎週の学びから、はっと思わせられることばかりで、みことばを聞けることをありがとうと感謝しかない。週報の裏に書いてある、主にあって喜びなさい。イエス様を知らなかったが、ずっと神様がいると思っていて、この世界にある自然とか美しいものが、人間では造れないもの。神様が居て造られたと信じていた。
マリアさんが教会に誘ってもらってから、何の迷いもなく通い始められたこと。すでにその時まで、神様が準備されていたことを一緒に話しました。

家族の救いの話をされたので、私の主人も13年目に教会に時々来るようになった。好意的になった。信じたり、不信仰になったりの繰り返しだったけど、聖書に書いてある通りに信じ続けていたら、必ず家族が救われることを話しました。

最後にマリアさんがお祈りして終わりました。

報告:マルタ