2024年1月
1月20&21日 支部オンラインシェアの報告(福岡⇄メンフィス)
福岡1/21 13:30、メンフィス1/20 22:30(40分間)
参加者:ダビデ(福岡)、モーセ(メンフィス)
最初のお祈り:モーセ
(ダビデ)
先週から新しい仕事が始まったが、そこで自己紹介をした時に、私はクリスチャンで週末は教会に行くので勤務はできないことなどを話した時に相手から「意味がわかりません」と言われた。入社して最初の為、支社長が同行して営業をしたがうまく行ったのでフルタイムの社員にしたいという話をされて、土日の勤務の条件として伝えた時にそう言われた。その方は仕事にも信念を持ってされているので、イエスさまを伝えたら興味を持ってもらえるかと思ったが、経験したことのない反応が返ってきたので戸惑って話はそれで終わった。教会の人たちからは、祈ってまた機会が来るのを願ったら良いのではと言っていた。
(モーセ)
そいういう方はいるので相手の反応にされずに「そうですか」で終わりで良いのではないでしょうか。その方が準備されていなければ無駄になる。その方のために祈ることはできる様になったので、また次の人に目を向けたらどうでしょうか。
(ダビデ)
メッセージからは使節の生き方として清さの追求が必要と受け取った。具体的にどれがというのは伝えられないが。
(モーセ)
いつも指摘されていることだが、自分の益のために何かすることをもっと無くして行きたい。人と接するのは会社にいる時だが、何かを決断するとか人と話す時に、自分の為にだったと気付かされる時があるので。そいうところが教会活動にも影響をして来ると今日学んだ。その逆に会社活動に教会で得たことが広がる様にしたい。何でも神様が働かれる生き方をしたい。
(松本さんの会社の人の話と関連して)昨年まで会社にいた日本人の上司格の人と切掛があって神様の事を話す様になってキリストの事を話したが、その方は色々な宗教の話を出してキリストはその中の一つとの捉えて議論の様になっていた。そいう事からももっと人の反応に左右されず自分を捨てて、導きで話すことの必要性を学んだ。ダビデさんは正社員に採用されそうなのか。
(ダビデ)
話は特に進んでいないが、平日もライブ配信に参加するので難しいと言おうと思っている。
(モーセ)
礼拝は大事だが、ライブ配信でなくてもMP3とかメッセージを聞く方法はあるので、キャンプなどに向けて仕事をしっかりさせた方がいいのでは。
(ダビデ)
ライブでなくても礼拝場にきて参加できる。交通費が掛かるが。
(モーセ)
会社でも真剣に取り組むことは大切なこと。クリスチャンなら他の人の倍働けと言われます。
お祈り(モーセ):福岡、メンフィス含め支部に新しい人が導かれて来ること。それぞれ自分の置かれている場所に「石」を置いて御心を取っていくこと、導かれた人に大胆にイエスさまの死と復活を語る勇気が与えられる様に。
終わりのお祈り:ダビデ
1月20日 聖日礼拝のシェア「兄妹の家」浜松⇄ロサンゼルス
20日 ロス時間9時:30分より、礼拝のシェアをラインにて行いましたので報告を送ります。
ラザロ、マルタ、マリア
ラザロが祈り、シェアを始めました。
ラザロ
今日は石を置きなさいということがメインの話だったと思うけど、石を置くということが、どうしても自分、自分と優先してしまうけど、神様優先、第一に考えることが大事。大変な時には神様に向くけど、家族、生活が安定したら、また自分優先になってしまう。牧師先生は文字通り実践されていて、それをやることですべての流れが変わる。そういうものだと神様の意向に沿う、一番に考えることを今日の説教から学びました。
マリア
私もその土台、石を置くことを考えた。自分なりに、自分の生活の中でイエス様を土台にしているのか?そうでないと良いものを周りに流すことができない。今の自分の生活、現状を考えた。
マルタ
聖さのことを考えた。聖さがないと祝福されませんよ。ということばが心に残った。聖さは単なる形式的なことではなくて、イエス様を愛して神の国を求めることに集中することだと受けた。
最後に各自が祈り終わりました。
報告/マルタ
1月21日 支部オンラインシェアの報告(横浜、カナダ、甲府支部)
日時 1/21(日)13:05ー13:30
メンバー ダニエル、ハンナ、マリア
ダニエルが祈って始めました。
マリア✳︎
石を置くということが私の中で曖昧であったが、今日の礼拝のハガイ書のところを通して、今まで自分の家のことでいっぱいいっぱいだった彼らが、神様の言葉によって励まされ、神殿の再建にとりかかったことから、じぶんの生活をすて、神の国とその義とを第一に求める、教会を建てあげることを第一として動き始めることだと理解した。
みんなは、石を置くということをどのように理解しているかと質問しました。
ダニエル✳︎
ハガイの話からすると、シュティアの上に火皿を置かれ、それはイエス様の象徴。石を置きなさいということで、思い出したのが、”わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。” マタイの福音書 10章37節イエス様よりも家族を愛するのは良くない。家族の現状ばかり考えてるとイエス様のこと後回しになってしまう。順番を間違っては行けない。家の教会の話から、自分に当てはめると、家庭礼拝の時間が、家事などの都合からずれてしまうことがあった。これでは人が集まれない。反省した。家の教会の時間をきちんと決め、そのための準備をしていきたい。学校の生徒との通読のことも考えていきたい。
ハンナ✳︎
石について完全にわかってないところがあるけど、契約の箱がなくなってイエス様の命の贖いがあって、死んで復活されたというその真理の上にたつことが石を置くことだと理解している。
最近家でも職場でも自分の家に合わせようと引っ張ってしまうことがあった。イエス様だったらどうするかなと考えて動いていきたい。
報告:ダニエル
1月13日 聖日礼拝のシェア「兄妹の家」浜松⇄ロサンゼルス
13日 ロス時間9時より、礼拝のシェアをラインにて行いました。
ラザロ、マルタ、マリア
ラザロが祈り、シェアを始めました。
ラザロ
真理がいくつもあるよ。イエスキリストの十字架での死と復活以外にも。礼拝で聞いたこのことばが残り、やっぱりそういう真理が分かり出すと、この世でやって来たことが馬鹿らしく、現実生活に惑わされずに生活できると思った。
マリア
もう1回改めてキリストの使節の真理を聞いて、最初の説教で聞いたように、自分が流していく存在になったこと。人間はそういう存在に造られた。以前はわからない点があったけど、そういうものが取り除けられて、少し心に入った。
マルタ
やはりすべてが霊的現実を話しているから、どれだけ自分が現実ではなく、その霊の現実に比重を置くか、信じることがすべてだと言うこと。自分の発することばですべてが決まる、ことばの大事さを教わった。
最後に各自が祈り終わりました。
報告/マルタ
1月13日 支部オンラインシェアの報告(福岡⇄メンフィス)
福岡1/14 13:00、メンフィス1/13 22:00(40分間)
参加者:ダビデ(福岡)、モーセ(メンフィス)
最初のお祈り:モーセ
(モーセ)1/13の礼拝から、私は神さまからは全て許された存在ではあるが、サタンが過去のことを突いてくる声に耳を傾けない事を常にリマインドする。神様から与えられている役目を行うためにも。また実際に世的な思いを無くすこと。サタンが「仕事のこと気になるだろ」と語りかけて来る。生活の中で仕事のことばかりを優先にしない様に、教会のことをやっている時はそれ集中したい。
(ダビデ)雄々しくあれということですね。
(モーセ)信仰の上に固く立てでもありますね。
(ダビデ)今まで祝福を求めることは良くないことだと思っていた(クリスチャンは貧乏であるという考えから抜けられなかった)が、先週のメッセージで「求めることは神様から好かれることだ」と聞いて、もっと祝福を求めていこうと認識が変わった。祝福あれとお祈りしたら新しい仕事が決まった。ただ生活のためではなくて、そこでお金を貯めてキャンプに行くというのが目的。毎回お金でキャンプに躓いたので今回は躓かない。
(モーセ)そこは信仰の訓練の一つだったのでは?
(ダビデ)信仰は自分にかかっているので。あとは悪い告白をしないように。最近、楽しそうに仕事をしたり、キャンプに行く夢を見ることがある。
(モーセ)強い願いをイメージさせられてるのかもしれないですね。
モーセからキャンプで学んだことを簡単に一通り説明と証を話しました。
祈り:ダビデさんにより、今週から始まる仕事がみこころでうまく行く様に支えてください。資金を貯めてキャンプに行ける様に助けてください。ダヴァールの兄弟姉妹が用いられる様に。
終わりのお祈り:ダビデ
報告:モーセ