2023年11月6日

11月4日 聖日礼拝のシェア(浜松⇄ロサンゼルス)

昨夜、聖日礼拝のシェアをラインにて行いました。報告を送ります。

参加:ラザロ、マルタ、マリア

マルタが初めの祈りをして、シェアを行いました。

ラザロ:
今日のところでは、新しく学んだのは、義の奴隷と罪の奴隷、どちらかに分かれること。放蕩息子の例を挙げて、自分でありたい、自分が無い、自由が無いと理解して、奴隷(義の奴隷)から抜け出るため神様から離れてしまうが、結局は死を迎える。若い時、親から束縛からされていると思って、離れたいと思う気持ちが、神と人間、親と子の関係と同じ。奴隷は囚われているという意味ではなく、器だと言うことを学んだ。

マリア:
先週と同じことを言っていて、捧げる動機を言っていて、心の中だから他の人にはわかりにくく、新しくされた生き方につながっていて、自分の為、他の人の為に生きることが、この捧げる動機にもつながっている。古い生き方に慣れ親しんでいる考え方、身についてしまって、恵みを忘れてしまうことが多分にある。自分の毎日の生き方に、適用していきたい。

マルタ:
人間は奴隷、器としての目的で、神様が創造したけど、その目的とはかけ離れた、全く逆の生き方を殆どの人間がしている。自分も真理を知らなかった。世の中は1日でも早く自立することを教えて、それができる人を美化することを説教の中で聞いて本当だなと思った。自分もそうやって生きて来た。自分は器にすぎず、どちらかの器になることを良く理解したい。イエス様の十字架の死と復活の贖いが罪の赦しばかりを自分の中で占めていたけど、今日の礼拝での最後のことばから、貧しさから富む者になった真理、自分をそういう者として見てなかった。その真理に信仰を持ちたい。豊かになって、人に捧げることが神様の御心。イエス様の死を無駄にしない生きた方をしたい。

最後は、1人ずつ祈って終わりました。

報告:マルタ

11月5日 支部オンラインシェアの報告

本日のシェアの内容です。

山梨:ナオミ&ルツ 香港:アビゲイル 甲府:マリア メンフィス:ダビデ バンクーバー:ハンナ

ダビデ:
先週からの礼拝で引き続き「自分のために生きる」ことをやめようと学んでいる。今の場所にいる事、「遣わされている」意味を教えられている。会社の永年の同僚で以前から病気や怪我が多い人がいる。クリスチャンで前は教会に通っていた事があるがしばらく離れている。その人にはみことばカードを送ったり、事ある毎に神様の事を話し、最低日曜は許会に行くとか聖書を一緒に読む事など勧めていた。今年の初めに元々悪い膝を悪化させて車椅子で出勤してたが、それもできなくなり手術をした。その間もみことばを送っていたが、状態も良くなり先週から歩いて出勤できるようになった。その方には神様が癒してくれたこと、この事を周りの人に話していこうと話した。その方が神様を更に求めて教会に行く事を期待している。キャンプのポスターを街の店に貼った。みことばが広まっていくように。

ルツ:
今日の礼拝から「動機」について考えました。古い自分の考え方が抜けていないところがあって、合理的にとか、効率良く…と考えてしまうことがあります。そのことが、神様のためになっていれば良いですがまだまだ自分のために動いていると気がつきました。神様のためにはどう行動するのが良いか、今後はそう考えていきたいです。

ナオミ:
今週、神様の愛から逸脱した行いをしてしまいました。イエス様を着たことで、イエス様に沿った行いをしなければならない所、沿う事が出来なかったです。今後は、イエス様だったらどうされるのか?都度考えながら行動して行きます。悔い改めと共に、大切な事を教えて頂けた事に感謝申し上げます。

ハンナ:
人の徳を高める生き方を学んでいます。以前、同僚の子に、自分の事しか考えていないよねと言った言葉が、引き金となってこの一ヶ月余り関係が悪くなっている。裁かない、相手を成長させる言葉を話す、赦し合う。ヨブのように、相手のために祈る。

マリア:
生きたいと思うことと生かされてる、この2つの違いがよくわかりました。 今週、仕事の問題をどのように解決しようかとそれに頭を使ってました。その状態は、生きたいと自分の力で生きている状態だとわかりました。 礼拝で、私は神様に生かされてるとまた思い起こされた時平安が来ました。 そして礼拝中、仕事の問題が解決しました。 みことばの上に立つ大切さ、それを思い起こすことができる礼拝の機会が与えられてることに感謝します。

アビゲイル:
サタンは、”自由”を餌にして、人を釣る。”放蕩息子”だった私は、すっかり騙されていた。その自由とは、サタンなりの自由=死であって、神様の与える自由とは違う。キリストにあって、義とされた私は、神様の恵みをエンジョイできる自由を持っている奴隷だ。それを誇る歩みをする。神様のため、人のために何かすることを負担に感じてしまう私だが、自分が自由であることを楽しんで、全ての事をやっていく。

祈り:
イスラエルxパレスチナ問題を見ていて、どうしてこんな事になっているのか?神様、なんとかしてください、と思うが、全てが、自分のために生きることに問題の発端があると思う。停戦に、私たちが直接かかわることはできないとしても、私たちの身の回りで起こる問題も、全てはこれが原因と思うので、私たちから始めるように、人を思う生き方ができるよう祈りました。

立つみことば:(特に3節)
ヤコブ4章
2 あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。
3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。

報告:アビゲイル(香港支部)