10/28 聖日礼拝(ロス本部)
正面玄関に、感謝祭の飾り付けをしました。
子どもクラブでの野外活動、この日はバスケを行いました。
日本語礼拝後の、ランチを食べながらの交わりタイム。
教会学校後に、子どもと親のランチタイム。
英語礼拝後の、ユースと英語部の交わり。
正面玄関に、感謝祭の飾り付けをしました。
子どもクラブでの野外活動、この日はバスケを行いました。
日本語礼拝後の、ランチを食べながらの交わりタイム。
教会学校後に、子どもと親のランチタイム。
英語礼拝後の、ユースと英語部の交わり。
聖日礼拝のシェアの報告を送ります。
土曜日夜9時より、ラインにて行いました。
参加:ラザロ、マルタ、マリア
マリアが祈り始める。
マリア:
自分だけのことを考える生き方の始まりや、今までの生き方、考え方は過ぎ去って新しくされたこと聞いてもっと理解できた。自分の生活に適用していきたい。
ラザロ:
今日の礼拝でも、信仰をしていくには、イエス様が十字架に掛かって復活したことを信じることが出発点で、そうでなくては、毎日の生活に流されて、飲んで、食べてで終わる。信じるかどうかがすべての基本。そのことを信じてなかったら何も始まらない。信じるかどうかに掛かっている。
マルタ:
自分の欲、自分の為に生きていた古い自分から、新しい、神様の心を願って生きていく者になったと信仰をもつこと。自分自身が古い自分を悔いて、新しくされたいと願い、その新しい生き方に価値を見出さなければ、このような真理を何度も聞いても働かない。
最後は、1人ずつ祈って終わりました。
報告:マルタ
本日のシェアーの報告です。
山梨:ナオミ&ルツ 香港:アビゲイル 甲府:マリア メンフィス:ダビデ バンクーバー:ハンナ
日時:10/28 (日)13:00ー13:30
初めの祈り: ハンナ
ナオミ
礼拝の感想。先週、自身の事が中心となってしまい、その事にさいなまれた一週間でした。
本日のメッセージを聴き、今週は神様を求め、みこころに沿って神様の働きができるよう祈り、感謝をして過ごしたい。
ルツ
今週、職場の先輩に「なぜクリスチャンになったか」と聞かれたので
その理由や、宗教ではなく神様と共に生きるという生き方です、と伝えました。
その先輩はこれまで、そのような人が周りにいなかったため、驚いたそうで、黙ってしまい、話が終わってしまいました。私の中にまだ話すことへの恐れがあったなと反省しました。
もっと神様に祈り、いつでも力強く神様のことを伝えられるようにしたいです。
アビゲイル
罪は、生き方の間違いだと分かった。自分のために生きることや価値観を変えられてしまったことは、死んで洗いきよめられなければ、変えられない。自分のために生きることでの産物は何か?物質なら消えて無くなる。満足感?いや、感情面では、もっともっとないとという不安であったり、人と比べるねたみの心だったり、逆に自分にとって苦しいものだ。それなのに、クリスチャンになってからも、そういった生き方をしている。だからアップダウンがある。神様の恵みがある!という信仰をしっかり持って、人のため、イエス様のために生きる。
マリヤ
自分のことだけを考えて生きる人と相手のことを考えていきる人の違いを学んだ。クリスチャンであってもすぐ変わることはできない。みことばや礼拝によって清められていく。聖日礼拝が始まる前は、なぜか部屋の汚さに気がつく。掃除をいつも以上にしたくなる。いつも不思議だなと思っていたけど、聖霊様がそうしたいという心を入れてくれるんだろうなと思った。礼拝に参加することや、聖書を読むことで、聖霊様がやりたい思いを入れてくれる。それによって神様に近く変えられていく。その機会が礼拝や聖書を通して与えられていることに、ありがたいと思った。
ダビデ
先週の礼拝メッセージでこの世の人生を終えた後のことが色々語られていた中で、魂の品性(考え)はそのまま持っていく事が言われていて、それについて考えさせられた。もし明日人生を終えるとして今持っている品性で神様の側に言って良いだろうか。クリスチャンになったばかりの頃は、私は自己中ではないと思っていたが、聖書でイエス様を知るうち、また今日の安息日礼拝でも「自分のため」の生き方を聞いて、いかにそれが当てはまっていたか知らされている。それらが「いつか変わる」でなくてその時々に変えていきたい。
ハンナ
今日の礼拝より、自分の為でない生き方について考えた。私は旦那に対して、彼は自分のことしか考えてないとイライラしてしまう。体が思うように動かないのだから、気持ちに余裕が出来ないのも仕方ないと自分に言い聞かせても、平安になれないことがある。が、今日の礼拝で、 私はこんなにやっているのにとか、自分、自分(Me, Me)は私側なんだと気づいて、気づけたことで、気持ちが楽になった。
祈り: ヨハネ 3:16
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。
最後の祈り: アビゲイル
報告:ハンナ(カナダ支部)
10/27 (金)聖書朗読の報告です。
はじめの祈り:Hさん
少し異言で祈る
2コリント1章を交代で読み、シェアを行いました。
Sさん:前半から福音を伝える中でたくさんの苦難があったことがわかり、助けは神様から来ることをもう一度教えられました。
Rさん: パウロの神様をほめたたえ、感謝などのことばから、苦難の中でもいつも神様との深い交わりがあったことがわかりました。
Hさん︰現実の目でみたら良くないことでも、神様、目に見えないものを信じることがすべてのもとであることを理解しました。
最後に1人ずつお祈りしました。
報告:LA婦人
皆さん ハレルヤ!
バンクーバー、メンフィス、山梨、甲府、香港のシェア報告です。
(ハンナ):土曜礼拝からのシェアです。イエス様と一緒にいた時の弟子は、自分の為に生き、イエス様の十字架の命により罪を贖われたことを知ってからは、人の為に生きるように変わったように、わたしも変わりたい。
(ダビデ):先週参加した礼拝からですが、古い生き方をしている自分が、未だに見えることがあるので、十字架の意味を、自分の心でしっかり信じることが大切と示された。先週のシェアの時から、ずっと考えていたが、自分の生ぬるさを消して、心でのとらえ方を確固たるものにしていきます。
(ルツ):自分にとって、神様がともに居てくださることは、当たり前のことなのに、それを人に話そうとすると、構えてしまったり、教えるような言い方をしていた。(世の会話と同じようにという意味ではなく)神様の事を日常会話にしていく。
イエス様のお墓に行った女性たちのように、自分たちが見たこと、受けたことを単純に知らせればよいと示され、納得できた。
(ナオミ):古い生き方、新しい生き方ということを聞いて、私も、心から人のため、神様のために生きる者と」なりたい。
私は、人に語る時、緊張してしまったりして、苦手感があるが、起こった事を淡々と語ればよいことが分かった。
(マリヤ):(自分の)子どもには教え、(未信者の)人には伝える、と言われたことが、一番心に残った。Hさんと通読をしているが、その際に質問を受ける。それに対して、伝えるのか教えるのか、よく考えて行っていく。
弟子たちも十字架の前には、理解できなかった事を読んで、私の周りにいる人たちも分からないのは当然、その反応を気にすることなく、自分にしっかりと根付いているみことばを、自分の言葉で伝えていこうと思った。来週、Hさんが礼拝に参加するので、このシェアにも参加してもらいます。
(アビゲイル):私たちも王なる祭司であるべきことは、ずっと学んでいるが、前回の上級聖書研究で、預言者でもあるべきと聞いて、”預言者は、特別な人しかなれない”と思っていた。そのことをこの一週間考えていたら、二列7:9が思い起こされ、4人のらい病人たちが、食べ物、宝を自分たちだけのものとせず、それを町に戻って伝えたことで、エリシャが語ったみことばの成就の助けになったと思った。同じように、私も、自分の受けた祝福を伝えることで、みこころの成就の手伝いができると、今日の礼拝の内容とも結びついて合点がいった。
祈り:彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」(2列7:9)
このみことばを読んで、各人が受けた祝福を感謝する祈りをささげました。
(香港礼拝所:有志婦人)