5月14日 支部のシェア報告(香港・名古屋・東京・甲府支部)

支部間のシェアーの報告です。
5/14(日) 13:30ー13:50

(ハンナ― 香港支部)
今日のメッセージの中で、
礼拝とは仕事であり、その仕事とは人がするすべてのことだと言われていた。日本語で仕事というと、お給料をもらう仕事と考えてしまう。先週あった仕事のトラブルを思い出した。トラブルとなるとお金の損失が発生する。その損金になってしまったところを取り戻すかということを考えると嫌になって気分が沈んでいた。この世の仕事は仮のもので、私の本当の仕事は神様を礼拝すること。その信仰によって、気持ちを変えていくことが大切だと思った。そのトラブルも、結果的に神様が解決してくださった。良き神様に感謝して生きていく。

(マリヤ― 名古屋支部)
今日の詩篇の1篇の箇所から、神様を教えを喜びにするという人の生き方をみた。母親と大喧嘩をして、もやもやして、いろんなこと考えて、悩んでいたけれど、今日の礼拝で詩篇のところを改めてみて、自分がみことばを愛して、イエス様に仕えていく生き方は、誰が、何を言おうとも変えられないなということは改めて受け取った。自分は神様の言葉から喜びをもらっていることは間違いないということは確信を持った。神様からくる本当の喜びを他の人とも分かち合っていきたい。自分の喜びは神さまにあるんだということをもう一度受け取った。

(サムエルー 東京支部)
礼拝の冒頭でヨハネ4:23の前の箇所から。礼拝者として神様は求めている。人も神様に祈って求めているが、神様も求めているという部分で自分は神様に求めているのかということ疑問に思った。あまり、神様に求めるということをしていないなと思った。大きい問題があれば必死に祈るが、日々の生活の中だと、なんとなくどうにかなってしまうので、神様に祈ってないことがわかった。細かいことでも神様に頼る生活をしていきたい。

(ルツー 甲府支部)
人間的なものを頼みにしない。神様を誇るというところが足りていないな思った。子供のバイト先で、昔から子供と遊ぶのは好きだし得意で、絵を描いたり、体操したり、それによって、子供の可能性を引き出しているつもりでいたが、子供が群がって子供のテンションが高くなってしまうことが、
職場全体としてよくないという注意を受けた。よってくる子供達よりも、静かにしている子たちの方が危険。飛び出したり、急に喧嘩を始める。そちらを見てほしいと言われた。子供が群がるのは、自分が子供の話をきちんと聞いているからだと思っていたが、自分の能力を誇りとしていて、自分に誇りを持っていたからなのかなと感じた。ただの自己満足だったのかも。そのことについて一週間ずっと考えている。自分はどうするべきかという答えがまだ出ていないが、神様を誇りとすることを忘れずに生きていきたい。