礼拝シェアの報告(名古屋&甲府支部礼拝所)

3/17(月)21:00−21:20

(ルツ)
イエス様は律法に反したことを行った。でもそれこそが神様の御心だった。では神様はなぜ律法をそのようにしたのだろう。昨日の礼拝からずっと考えていた。イエス様の心は律法を超えていた。最低限のルール?が律法?今月から、患者さんに頼まれ、指圧教室を始めた。全くやったことのない人に何から伝えたらいいのだろうと考えた。今の私のやり方は人によって変えている。どうやればいいかは、その人を目の前にすれば勝手に生まれる。でもそんなことは初心者にはできないから、基礎の手順を作って教えようと決めた。繰り返し行い人に触ることで、感覚でどうすれば良いか分かるようになる。それで、律法もその基礎というか土台のようなイメージなのかな。と思った。神の子となり、聖霊様を受けたものは、その基礎を超えた応用を自然と行えるようになり、経験によってどんどん洗練される。せっかく聖霊様を頂いても、御心を行わなければそれは磨かれない。だから行動を起こすことが何よりも大切なんだ。それで御心がすっと分かるようになるんだと思った。

(マリア)
主の口に反抗する、神の人は主の言葉に背いたから殺されてしまった。イエス様も同じということだった。表面的に人間に良いと見えることと神様のみこころは違うところにある。宮きよめやすべての食べ物は清いとされたこと、当時のユダヤ人ではそんなことを言う人はいなかったと考えると、イエス様はすごい。
人間の盲目さ、律法を表面的に守ろうとしてたことが愚かであることが良くわかった。光の結ぶ実(あらゆる善意と正義と真実)はイエス様そのものだと思った。そのひとり子の神が私のために死んでくださったこと、罪の奴隷からの解放、謙遜に受け取って感謝して、光の子としてあらゆる善意と正義と真実に目を向けていきたい。