支部のシェア報告(福岡&名古屋支部)

11月17日(日)
20:00〜

聖日礼拝からのシェア

(フルダ)
3つの規定の2番の清めと言うものが、神様のみこころを知ると言うことだけど、イエス様がなさったこと、罪人のために命を捨てられたことにより義とされて、みこころを知るものされ、それを知れば、自ずと3番目に繋がっていくものだなと知った。

私自身も神様のみこころを毎週教えられて、イエス様が愛されたように、兄弟姉妹を愛すると言うこと、職場や礼拝所で自分の家を捧げることもそう。全部神様が見ておられ、私がそのようにしていくのかを見られている。そういう場所が与えられて、私自身がみこころを行っていくというところを実践(行動)していくことを訓練されている。パスター家族を通しても目に見える形での行動を見ながらも学ばせてもらっている。仕事を考えてみても、学生たちのサポートをすることも実践の場として神様が与えてくださっているなと言うことがわかる。学生に対してどのように思って行動するのかと言うのが、全部が兄弟姉妹を愛するという、みこころを行って言って欲しいということの訓練の場だなということをメッセージを聞いた後に振り返って考えていた。イエス様の愛は私がどんなことをしても味方でいてくれる。自分自身がまだイエス様を知らない時にイエス様は私のために死んでくださった。私自身がイエス様の愛を知り、それが土台にあって生活の中でやっていくのだけど、そこまでできていない自分があり、嫌なことをしたり言われたりすると言い返したくなる自分がいると、ああいうふうになんでしてしまったんだろうと後で考える。そういうことを通してイエス様の愛、パスターやまさみ先生の愛を見ると、自分が小さい、未熟だなと思う。イエス様の愛を見習っていくためにも、みこころを知りたい。奉仕や教会で訓練の場で成長していきたい。

(エステル)
3番目の兄弟姉妹を愛するということで、イエス様は兄弟姉妹を愛するということを重荷に思ったと思いますか?全く思わなかった。ご自分からすすんで命を捨てられた。と聞いて、自分はみこころを行いたいと兄弟姉妹を愛そうとする時、重荷に思い、自分の中で色々な葛藤、悩み、苦しさがあると思った。悪い考えがあるから重荷に思う。自分が捨てられないから重荷に思う。みこころを行いたいと思ってもどちらを取るかが試される。悪い考えを一つ一つ捨てて、たましいがもっと清められていきたい。イエス様から学んでいきたい。