支部のシェア報告(山梨&名古屋支部礼拝所)

3月2日(日)17:30〜18:00

聖日礼拝からのシェア

(ナオミ)
この世が自己保身のために罪を犯していても何も言わなくなっている。愛し合う事が必要な今、真にその人の事を思うなら神様からのみことばを神様によって伝えていきたいと思いました。そのために聖書の学びを行う事が必要。イサクとイエス様との対比で状況を想像してみるこの事を考えていきたい。現在礼拝に参加させて頂いているが、私達は動物の命を捧げず、何よりもイエス様が私達のために死んでくださり様々な事を与えて頂いている。礼拝にイエス様により今の様に参加させて頂いて神様からのメッセージを教えて頂いている事に、イエス様に対してもっと深く知り、心からの感謝をしなければならないと思いました。そのために少しでもお役に立っていかなければならないと思います。今朝数年前にトラクト、週報等を届けていた知り合いの方から、メールが届きました。彼女は、ご病気もあり届けていましたが、拒否のような?感じがあり届ける事をやめていました。数年振りの連絡で、またつながれましたのでみことば等を届けて行けたらと思っています。つながれた事を神様に感謝申し上げます。

(マリア)
メッセージを思い返して、大事なことは、人間が罪を犯したので右手が枯れてこの地上が闇になった。それを回復するために神である方が人間となって地上に来られ、神ご自身がイエス様を殺されたということ。イエス様のご自分を無にする、ご自分を捨てられた姿が、、、私たちにも自分を捨てて十字架を負ってついて来なさいと言われているが、、、イエス様のその姿に今まで以上に深さを感じ、ああ・・・と言葉にならない。ベテルの預言者のように、自分もそうだったように、イエス様が自分のために死なれるということを知らない人々が周りにたくさんいる。先に救われたものとしてイエス様を伝える役目がある。必要なことを伝えて、結果は神様に委ねていく。